ここまで、深い考察をするのか…。
アメリカの金融大手、ゴールドマン・サックスを迎えた交渉のテーブル。タクシー配車アプリを展開するGOの中島宏・代表取締役社長は静かに唸った。
厳しい市況のなか始めた資金調達。交渉相手は外資の金融プレイヤーだけ、評価額を下げる「ダウンラウンド」ならば撤退…と自らに縛りを課した調達活動は、気づけば独特の緊張感を帯びるようになっていた。
GOは、ゴールドマン・サックスから100億円の資金調達を実施することになる。2023年上半期最大規模となった調達劇の裏側を、中島社長が明かす。
GO(旧・Mobility Technologies)は、タクシー配車アプリ「GO」などを展開するモビリティ領域のスタートアップ。日本交通ホールディングスの「JapanTaxi」とDeNAの「MOV」の競合同士による事業統合を経て誕生した。街中を走るタクシーのドア部分に「GO」と書かれた広告を見たことがある人も多いはずだ。
GOはこれまで、NTTドコモやトヨタ自動車など事業会社からの資金調達を重ねてきた。成長資金の確保と同時に事業シナジーを生み出す戦略は奏功し、着実にシェアを広げてきた。サービスの提供範囲は44都道府県にまで拡大し、アプリのダウンロード数は1,500万を超えた。
評価額は1,000億円を超え、上場を見据えるタイミングが来ていた。IPO(新規株式公開)となれば、かなりの規模になる。
「株式の流動化比率を上げる必要がある。グローバルIPOを目指すならば海外の機関投資家からのプレゼンスも高めるべき」。中島社長はそう考えた。
海外、特に北米で存在感のある投資家から調達したい。そう考えた矢先、スタートアップの資金調達環境が冷え込んできた。評価額を8割ほど下げる大幅なダウンラウンドIPO(用語解説)となった国内スタートアップの事例も目にした。
「市況が崩れていると話には聞いていたが、これは本当なんだ」。
悪化する環境のなか、本当に資金調達をする必要があるのか。既存投資家である事業会社を巻き込んだ議論が始まった。「自分たちで支える」と温かい声がけもあった。それでも、この環境下で調達に成功すれば大きなプラスになる――。中島社長はそう考えた。
結論は出た。交渉対象は海外のトップ層のみに絞る。ダウンラウンドならば調達そのものをしない。縛りを課した状態での船出となった。
成功する自信は「全然なかった」と中島社長は明かす。
「本当にできるのか、という感じでした。正直難しいんじゃないかと…」
「あそこには、声かけないんですか」
投資家との交渉のなかで、紹介されたのがゴールドマン・サックスだった。
思い描いた通りの、北米トップ層の金融プレイヤー。日本チームが元々「GO」のヘビーユーザーだったという縁もあり、交渉開始から熱量の高さを感じた。
だが、交渉が進むなかで、これまでの資金調達活動との違いを肌で感じることになる。
「事業会社の場合、事業シナジーを検討し、高い効果が見込まれると合意ができてから投資の検討に入ります。一方で金融投資家は投資の是非が全て。事業の将来性を彼らの基準に照らし合わせて評価し、十分なポテンシャルがあるかを突き詰める。検討の順番と内容が事業会社と大きく異なります」
ゴールドマン・サックスがまず着目したのは市場規模だ。日本のタクシー業界は今後どう変わり、電話・流し・アプリといった配車方法の比率はどうなっていくのか、その変化のスピードは…。
「私たちも将来のビジョンをロジックとともに提示します。相手もそれに対し『こうなるのでは』という独自の視点を出してくる。それをお互いにぶつけ合うような交渉プロセスでした。将来価値をここまでロジカルに検討するのか、というのはかなり印象的でした」
ポイントはアプリ経由の配車がどこまで広がるか。GOに統合された「JapanTaxi」など、アプリ配車サービスには10年以上の歴史があるが、国内のアプリ化率は10%未満にとどまっている。
「これが数年後に30%になっているか、60%になっているかでGOの評価額は全く異なるわけです。新規ユーザーの月ごとの残存率に加え、それぞれのユーザーが月にどのくらいタクシーを利用していて、そのうちアプリをどれだけ使うかなどを数字として出しました。海外の調査データも提出し、トレンドや先行指標の推移を示しました」
「ミクロとマクロの数字を大量にテーブルに並べた」と中島社長。GOの示すデータに対して、ゴールドマン・サックスは独自の視点を提示する。「ここまで深い考察をするのか、ここまで幅広のディスカッションをするのか」と唸った。気づけば、交渉はこれまでにない緊張感に包まれていた。
「それぞれのテーマで本質的な内容がテーブルに乗せられ、打ち返すわけです。1つでもロストしたら、投資検討の優先順位が下げられるという緊張感がありました。投資する側からすると、対象は世界中に何百、何千といる。少しでも『違うな』となれば検討チームのリソースは他所に移される」
「100億円の調達額で、なおかつ金融界のトップティアという条件に当てはまる投資家はグローバル全体で見ても20社くらい。我々にとってのチャンスは潤沢ではない。タフな交渉でした」
GOの交渉を成功へ導いた要素は2つある。その一つが「アプリ手配料」の導入だ。
GOは2022年11月に、東京エリアでアプリ手配料を追加。アプリでタクシーを呼ぶ際の支払い項目が新たに加わった。「円安影響や長期的な車載端末備品の値上げなどのコスト課題に向き合わざるを得ない状況」(公式サイト)と理解を求めたが、利用状況にどこまで影響が出るかが焦点となった。ユーザーのリテンション(維持)率や利用金額、それにタクシー会社との契約に変化がないかなど、重要指標を定めてモニタリングを続けた。
「すべての指標がポジティブな結果だった」と中島社長。価格変動にも揺るがない強固なユーザー層を抱えていることを示した格好になり「GOが説明してきたことは正しかったと強く立証され、収益構造も良い方向に変わった」と追い風が吹いた。
もう1つが2022年12月に発表したGX(グリーントランスフォーメーション)構想だ。
これは都市部などのタクシー事業者およそ100社と提携し、EV(電気自動車)のリースや充電設備の設置支援などを進めるほか、化石燃料を使わない再生可能エネルギーを自社で調達するといったプロジェクト。2027年までに年間のCO2排出量を30,000トン減らすという数値目標を掲げる。
「事業の初速が見えきるタイミングがゴールドマン・サックスの評価期間に入っていて、(交渉に)かなり強く影響しました。まず、新規事業を計画通り実行できる経営チームであるという定性的な信頼が高まりました。そして数字を示すことで大きな事業領域になると評価してもらいました」
GXに取り組むのは、脱炭素は「令和の時代を代表する社会課題」という意識が根底にあるからだ。GXは岸田政権のいわゆる「骨太の方針」にも度々登場するなど社会的な注目も高まっている。国際社会を中心に、環境面に配慮しているかどうかなどを重視するESG投資も広まっている。
ただ、ゴールドマン・サックスはあくまでビジネスとしてのポテンシャルを評価したという。「ESGプレミアムが乗ってくれるかと思ったのですが、1.0倍でしたね」と中島社長は笑いながら頭をかいた。
ゴールドマン・サックスからの100億円の出資と金融機関からの融資で、合わせて140億円を調達したGO。トップ層の金融投資家からの高い評価を得たが、DX(デジタルトランスフォーメーション)が比較的進んでいない地方への浸透などまだ課題もある。
「乗務員さんの平均年齢が70歳程度という地方都市もあります。当然ネットリテラシーも変わってくる。台数がまだまだ(浸透していないから)大きくポテンシャルがある、とは簡単に言えないマーケット」と気を引き締める。
それでも、タクシー会社や現場の乗務員、それに地方自治体とのコミュニケーションは進んでいる。「仮説はもう立っています。そこに向けて投資をするフェーズ」と前を向く。
その先にいよいよ、大型IPOを視野に入れる。「時期を後ろにすればそれだけ事業価値も上がります。一方で、チャンスが転がっている領域に早めに手を出すために投資したいという考えもある。ゴールドマン・サックスもそうですし、既存株主にとってのスイートスポットを探すことになる」と中島社長は話す。
事業は伸び、手元の資金に厚みが出たからこそ、数年の範囲で上場時期を見極めることができる。「上場の具体的な時期は」と迫る筆者を「複雑解ですね」と躱す中島社長には、1年がかりの調達を乗り越えた達成感が漂っていた。