東大発スタートアップ。そんな言葉をよく耳にするようになった。それもそのはず、2018年2月に発表された最新のデータによると、大学発スタートアップは1,002社にのぼる。そして、そのうちの108社はなんと東京大学発なのだという。10社に1社は東大発、ということになる。背景には、国をあげてスタートアップを支援しようという動きがある。大学発スタートアップに対する投資や提携など、産学連携の動きがどんどんと進んでいるのだ。今回、本メディアで取材を行なった株式会社東京大学エッジキャピタル(以下、UTEC)も、東大をはじめ大学発や技術系のスタートアップを支援するために生まれたベンチャーキャピタルだ。2004年の創業以来、約100社への投資を行い、うち20社ほどをイグジットまで導いている。代表の郷治友孝氏(以下、郷治氏)は、通商産業省(現、経済産業省)での官僚を経験後、退官してUTECを共同創業するに至っている。いったい、決断の背景にあった想いはどのようなものだったのだろうか。そして、15年間日本のスタートアップを見てきた郷治氏が考える、成功するスタートアップの条件とは。
「そもそも、起業を目指していたのか」という編集部の問いには、即答で「ノー」と回答する郷治氏。学生時代には、社会を動かすーー政策の世界に興味を抱いていたのだそうだ。
郷治 「父親が医者だったので、もともとは医学部志向だったんです。ただ、父親のクリニック開業を経て、医者を継ぐよりも、世の中を動かす仕事に就きたいと考えるようになり、政治や行政の世界を志すようになりました」
東京大学法学部に進学し、入部していた水泳部がきっかけで政治の世界に触れるきっかけと出会った。部のOBだった自民党代議士(政調会長、幹事長などを歴任)の加藤紘一氏(故人)の学生秘書としてアルバイトをすることになったのだ。
郷治 「学生秘書として自民党の部会に参加させてもらったのですが、政策の原案の多くは各省庁の官僚が作っていることを知りました。そのため、良くも悪くも社会を動かしている実際の政策を学ぶ現場として、卒業後の進路は官僚の道を選びました」
ただ、官僚になるとして伸び伸びと政策を立案できる環境で働きたいと考え、数ある省庁のなかでも最も談論風発な気風があると感じた通商産業省を選んだ。ただ、当時は「起業」は頭の片隅にもなかった。
通商産業省で2年目にアサインされた仕事は、郷治氏に今日のベンチャーキャピタルの仕事のヒントを与えている。その仕事が「投資事業有限責任組合法(VCファンド法)」の起草だった。それまでは投資家が無限の責任を負いかねなかったのを、有限にするための法律だ。
郷治 「この法律が施行された1998年当時は、まだまだスタートアップへの注目度は低い時代。省内であまり注目されていない法律だったことが幸いして、少人数で法律の制定に携われました」
今となってはリスクの高い事業にも投資できるよう、資金調達市場はだいぶ温まってきている。ところが、当時はスタートアップへの投資環境は恵まれていなかった。たとえば、ベンチャーキャピタルが組成したファンドから投資した企業が特許訴訟を起こされた場合に、その責任がファンドの出資者にも降りかかる仕組みだったのだ。さらに、投資先の財務状況の情報開示に関する取り決めもされていない。起業家にとっても、投資家にとっても、決して良いとは言い難い環境だった。
郷治 「法律の制定は楽ではありませんでした。関わる分野がさまざまなので、いろいろな省庁の所管法令を貫く横串の法律を制定する必要がありました」
「投資事業有限責任組合法」は、ベンチャーキャピタルなどのファンドの仕組みを定めただけではなく、既存の税制、銀行法、保険業法、独占禁止法、会計ルールなどといった法令についても包括的に修正を加えた法律だ。経済産業省だけ、金融庁だけ、国税庁だけ、といったようなにひとつの省庁のみの法令や規則だけにはとどまらない。
郷治 「国会に提出する法律を審査する内閣法制局からは、当初、通産大臣がファンドを許認可する、通産大臣だけの権限の枠内に収まる法律にしたほうがいいと言われていました。しかし、そんな法律を作っても使いにくくて使われない。でも我々としては通産大臣の権限はあえて定めないで国の枠組み全体をベンチャーキャピタルが活性化するように変えることを優先したんですね。おかげで制定が予定から1年遅れてしまいました。でも、作っても意味のない法律を作るくらいなら作らないほうがいいと思っていたので、制定できるまで各省協議や国会は粘りましたね。最終的にこの法律は共産党以外の会派の賛同を頂いて成立しました」
UTECは、国立大学の法人化をきっかけにして生まれた。1998年の投資事業有限責任組合法の成立後、法律はできて以前よりもファンドが設立されるようにはなった。しかし、郷治氏は技術の種の段階からスタートアップを育てるようなベンチャーキャピタルが日本ではなかなか育っていない、という問題意識を持つようになっていた。いっぽう、代表的な国立大学である東京大学では、2004年の国立大学法人化を前に、研究成果を活用したスタートアップを支援するためのファンドが必要だと議論がなされるようになった。民間の投資家から資金を集めて東京大学と連携してファンドを運営するベンチャーキャピタルができないかという構想が、郷治氏の耳にも入るようになる。
郷治 「大学には、起業に有望な研究は揃っているけれど、ファンドはありません。自分が制定した法律をもとに、投資家から資金を調達して大学の研究成果をはじめとする技術の種から起業するスタートアップに投資をするベンチャーキャピタルを作るチャンスだと考えました」
当時のいろいろなベンチャーキャピタルを調査した郷治氏によると、それまで大学と連携したVCが皆無だったわけではなかった。しかし、どれも大きな成果はなかった。プロのベンチャーキャピタルとして民間資金を運用する緊張感がなく、大学側が、VCの意思決定や運営に対して口出しをする仕組みとなっていたことが第一の問題点だったという。
郷治 「大学とVCとは、互いに密な関係でいながらも相互に独立していなければならない、協調しながらも相反する立場もある関係なんです。そうした緊張関係をマネジメントして、設計して、イグジットまでを支援することが、UTECの制度設計にあたって最も留意した点でした」
これまで数多くの企業をイグジットまで導いた郷治氏の目には、成功するスタートアップの共通点はどのように映るのか。答えは至ってシンプルだった。
郷治 「結局は、優れたチームがあるかどうかに関わると思います。自分にないものを持っている人をきちんと採り入れられる経営かどうか。そして、成功する経営のために必要なさまざまなことに長けた相互補完的な強いチームを作ることができるかどうかですね」
「こんなことも知らないのか」ではなく「こんなことを知っているのか」と言えるかどうか。ほとんどのチームには、ミッシングピースがあるはずだ。それを、探して埋める努力を惜しまないチームには、成功が訪れやすいのだという。
郷治 「最初のうちは、技術やアイデアのユニークさで評価されるスタートアップが多いでしょう。ただ、技術だけでは成長しません。自分以外の事業開発の幹部を積極的に参画させて権限を与えることができる代表者なのかどうか。僕が投資するときには、そんなところを見ていますね」
大学発スタートアップは、高い研究力によって成り立っている場合が多い。ビジネス面での知見が弱い場合は、ビジネスに長けた人材が必要となるのだ。ビジネスのために必要なそうした人事に、研究者が積極的な理解を持つことが大切なのだ。
また、UTECとしてもっとも難しい判断を迫られたことのひとつとして、大きな意思決定を強いられた瞬間をあげる郷治氏。
郷治 「とある電力系の事業を行うスタートアップに投資していたんです。当初は、メインの事業は、国内での電力自由化。また、もうひとつの事業はなんとアフリカでの太陽光発電の普及、というベンチャーでした」
当初から投資を行っていたUTEC以外の投資家の引きが強かったのは、前者の国内事業だ。大企業やベンチャーキャピタルなどからは、次々と、国内事業を伸ばすための投資を集めていた。ところが、郷治氏は、調達した投資資金の資金使途を、国内事業ではなく、アフリカでの太陽光発電に切り替える選択をした。
郷治 「国内の事業はチキンレースになることが見えていました。どう考えても過当競争になりつつあって、いちベンチャーでは差別化できない。レッドオーシャンの市場でいくら戦っても勝ち目がなくなるだろうと考えて、全リソースを、日本からはその会社しかないアフリカでの事業に投下しました」
大きな決断は功を奏し、現在ではタンザニアで150万人以上が利用するサービスにまで成長している。リスクを取って得た、大きな成功だ。現在そのスタートアップは、その名を現地スワヒリ語で「灯をともす」ことを意味する「WASSHA(ワッシャ)」に変え、成長を続けている。
郷治 「リスクはあるけれども未来が見えるものだったんです。今世紀中に、サハラ砂漠よりも南の無電化地域の多いアフリカは、人口が10億人から40億人に増えると言われているし、どんな環境下であれ再生可能エネルギーは絶対に必要となります。だから、リスクがあってもチャレンジしました」
スタートアップへの就職が決して珍しくなくなった今。安易に起業を目的においてしまう人もいる。そんな人たちに向けて、郷治氏はこのように語りかける。
郷治 「本当にやりたいことはなんだ? と言いたいですね。起業そのものではなく、やりたいことがあるから、そのための最善の手段が起業なのであれば起業をするし、ベンチャーキャピタルから資金調達もするんです。実際に、大学の研究者でも格好いいからと起業を選ぶ人も出始めたので、それは間違っているよね、と思います。最近は、起業しようとする研究者の人たちに、ベンチャーキャピタルである僕らのほうから、もっと研究論文を書いてくださいと伝えることもあります」
研究のプロなら、研究の道を。郷治氏が大切にする考え方は、ズバリ「餅は餅屋」だ。研究者は超一流の研究レベル向上によって素晴らしい研究成果を、経営者は優れたマネジメントによって素晴らしい戦略とオペレーションを。強いチームによってもたらされる企業力こそ、本物だ。
執筆:鈴木しの取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:横尾涼