プログラミングの知識を持たなくとも、iOSやアンドロイドアプリを制作できるプラットフォームがある。株式会社ヤプリ(以下、ヤプリ)が運営するサービス「Yappli(ヤプリ)」だ。
代表取締役を務める庵原氏は、新卒で出版社に入社し雑誌編集を経験。その後ヤフー株式会社(以下、ヤフー)でWebメディアの企画に関わった後、シティバンク銀行でのマーケティング職を経て「Yappli」の開発へと踏み切る。
紙からモバイル、アプリなど、メディアの変遷に合わせてそれぞれに関わった庵原氏が、アプリ制作プラットフォームを生み出すのはなぜなのか。庵原氏のこれまでとこれからを、インタビューを通して紐解いた。
大学卒業後、新卒で出版社に入社した庵原氏。世の中のトレンドを生み出す紙メディアに憧れて出版社を選択したと語る。
庵原 「新卒から5年間、出版社でスノーボード雑誌の編集に携わっていました。今は世の中のトレンドをつくるのはWebメディアですが、僕が社会人になったばかりの頃はまだ紙メディアがトレンドをつくっていたんです」
花形と言われた出版業界。情報発信をする側として取材をメインに活動していたという。
庵原 「華やかな場で情報発信がしたいと思っていました。情報を受け取る側ではなく、作り出す側になりたかったんですよね」
5年間、トレンドを作る紙メディアに従事した庵原氏。転職のきっかけは、出版業界の売上不振にあった。
庵原 「Webメディアの台頭により、出版業界は不況の嵐が吹き荒れていました。『このままだとまずい』と感じていたので、ヤフーに転職したんです」
Web業界のなかでも最大手だったヤフーへの転職を決断。出版業界の低迷と、自身のキャリアとを考えた結果、出した結論だ。2006年、まだモバイルではなくPCが全盛の時代だった。
庵原 「ヤフーに入社してからは、サービスやサイトなどの企画、プロダクト開発の際にはPM、サービスのあり方やユーザーを意識したUI・UXの設計など、今のヤプリにも通ずるコアの部分を身につけることができました」
Yahoo!スポーツ(現 スポーツナビ)やYahoo!ファイナンス、五輪サイトまで、さまざまなサイトに携わってきたという庵原氏。
モバイルインターネットの登場により、コンテンツのあり方もPCの時代とは異なるものに移り変わっていった。さらに、以後はスマートフォンが登場したことでアプリの重要性も高まる。
ヤプリの構想が進んだのは、そんなスマートフォンが登場しモバイルの進化を感じ始めた頃だったという。
庵原 「2010年頃、ヤフーに勤めていた佐野(現 ヤプリCTO)と個人的に、スノーボードのハウツーアプリを作ったんです。Webとはまったく異なるリッチで新しいデジタル体験がすごく新鮮で。スマートフォンを横にしたり、振るだけでコンテンツが変わることに衝撃を受けました。これからはアプリの時代だと痛感しましたね」
紙メディアからWebメディア、そしてアプリの世界へ。ヤプリの構想がじっくりと進んでいた。
ひとつのアイデアからすぐに起業へと踏み切る人もいれば、じっくりと足元を固めて起業する人もいる。庵原氏は、後者だった。ヤプリの構想を練り始めたのが2011年頃で、創業は2013年。実に2年間の準備期間がある。
庵原 「2011年からずっとサービスや起業のイメージはしていました。しかし、そのときにはまだ起業に踏み切らなくて。2010年の末にヤフーを退職して、その後はシティバンクに転職してデジタルマーケティングに携わっていました」
前述のアプリを開発したとき、庵原氏はすでにヤフーを退職し転職していた。シティバンク転職後、庵原氏のヤプリ創業への想いはどんどんと募っていたと語る。
庵原 「シティバンクに転職したのは、ヤフーでのファイナンスのメディアに携わった経験を銀行にも活かしたいという思いからでした。ちょうど銀行もWebに強い人材を求めていた時期だったので転職したんです」
その後、起業への想いを募らせていた庵原氏は、たまたま依頼されたアプリの受託開発案件で現在のヤプリに直接つながるアイデアを得ることになる。
庵原 「ふたりの知人から同時に、カタログショッピングのアプリを作りたいと依頼されたんです。そのときにふと思いました。『個別にアプリを作るのではなく、ドラッグ&ドロップだけでアプリが作れるプラットフォームがあったら便利だろうな』と。それなら、自分たちの力でゼロから生み出そうと思って起業を選びました」
思いついたアイデアを実行に移そうと思っても、ヤプリの開発には生半可な労力ではできないほど高い技術力を要する。サービスの完成までは、先の長い作業が続いた。
庵原 「仕様書に半年、デザインに半年、プログラミングに1年。ヤプリは、大きなプラットフォームを作るため、高い技術力が必要で、参入障壁が非常に高いサービスなんです。直接的な競合がいないので、じっくりと腰を据えて開発を進めていきました」
“ひとつのプラットフォームでアプリが作れるサービス”と一言で済ませてしまえば簡単なものだが、ヤプリは誰しもが作れるほど容易な構造のサービスではない。ひとつの管理画面からiOSとアンドロイドなどに対応させるシステムは、決してすぐにできあがったものではなかった。
庵原 「本当にサービスが完成するか分からないし、、資金調達の見込みもない、そもそも顧客がつくかどうかもわからなかったので、三重苦のリスクを背負ってのスタートでした。中途半端なことで起業するのではなく、本当に自分のやりたいことで起業して成功したいと思っていたので、とにかく必死でしたね」
初期の資金は自身の身銭を切った。開発はとにかく工数でカバーしまくった。すべてのリソースをヤプリの開発に投下すると決めて、全力で走ったという。そこには、必ずスタートアップとして強烈なプロダクトを作って起業したいという庵原氏の強い意志があった。
庵原 「実は、異業界であるシティバンクへの転職を僕は“失敗”だと思っているんです。だからヤプリは必ず成功させて、もう一度IT業界に華々しくカムバックしたい。そう思っていました」
庵原氏の想いに共感し、当初から開発を進めていた3名でヤプリを創業した。創業直後に、すぐに顧客がつかなくても焦らず製品開発に集中するために、創業メンバーだけで2年は生き残れる分の資金調達を行なったという。無事に資金は集まったものの、市場規模の小さいサービスだったヤプリは、広がるまでの苦労が絶えなかったと語る。
庵原 「起業から最初の2年は大苦戦しました。まず、ターゲットがわからなかったんです。どの業界や業態にプロダクトマーケットフィットするのか、どんな顧客が買うのかわからないままにしばらく右往左往していました」
当初は個人向けのBtoCサービスとして、広く浅く届けるビジネスモデルを考えてたというヤプリ。しかし、思うような結果は付いてこなかった。そこで、法人向けのBtoBサービスに切り替えたところ売り上げが上昇。設立から3年目にして、やっと見えた顧客層だったという。
庵原 「toCにはオンラインマーケティング、toBには法人営業で売り上げを作っていました。すると、後者のほうが圧倒的に売れるし単価も高いんですよね。あっという間にtoCの売り上げを抜いたので、toB向けにサービスを切り替えました」
模索しながら検証と改善を繰り返して見えた、本当に届けるべきマーケットだった。
これまで、多くの迷いや悩みを抱え続けてきた庵原氏。「ロジックでは解決できないことを決定するときのポイントはどこにあるのか?」と編集部から問いかけてみた。庵原氏の答えはこうだ。
庵原 「サービスをグロースさせる際には、なにが正しいのかわからなかったので、とにかくいろいろな施策を試して、いろいろな業界に展開してきました。ヤプリは水平型のサービスなので、特定の業界の特定の課題を解決するサービスではありません。一方で、コアな顧客ゾーンは必要で、どこかの業界に刺さらなければならない。だから、とにかく当たってみてダメなら次、また次……と挑戦したようなイメージです」
一度や二度で諦めるのではなく、三度でも四度でも繰り返し続けること。個人とチームの圧倒的な耐久力と、諦めない力が答えを導き出してくれるのかもしれない、と庵原氏は成功のヒントを語る。
ただ、サービスがなかなか伸びないとき、常に諦めずに邁進できるケースはそう多くない。庵原氏が諦めずここまで続けられたのはいったいなぜなのだろうか。
庵原 「売り上げがゼロではなかったからですね。本当に少数でしたが、『このサービスはすごい』と熱狂してくれる人がいました。ビジネスはうまくいっていませんでしたが、少数の夢中になってくれているユーザーがいたので、ヤプリの可能性と将来性には疑いは持ちませんでした」
また、採用の際の意思決定では自身の直感に頼ることもあるという。
庵原 「僕の場合、採用面接のときには会議室のドアを開けた瞬間にもう合否が決まっているんです。それは、ロジカルな要素ではなく直感に頼った意思決定ですね。自分の考えや思いは素早い判断によって正誤が決まるものだと思っています」
出版業界に始まり、メディアの変遷を身をもって経験した庵原氏。今後は、アプリのテクノロジーによってさらにリッチな体験をユーザーに提供することを目指しているという。
いろいろな人のモバイルライフを豊かにするために、これからもヤプリは多くの人に寄り添い、これまでにはない新しい感動体験を紡ぎつづけることだろう。
最後に、これから起業しようと考えている人に向けて、メッセージを伺った。
庵原 「IT業界での起業には実はリスクがないので、たくさん挑戦したらいいと思います。起業するときにはヒトやカネなどの問題点がありますが、今は出資してくれるVCもたくさんいますから。それよりは、仲間を常に探しておくことのほうが大切ですね。やってみてダメだったならば、再就職すればいいんです。若いうちからどんどん新しい価値やサービスを生み出す経験をしてほしいと思いますし、スタートアップで働くことでそのような経験を得てほしいと思います。とにかく、チャレンジする気持ちを持ち続けることと、実行力が大切です」
執筆:鈴木しの取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:矢野拓実