起業したいが、自分には才能がないからと諦めている人はいないだろうか。もしくは、経営者になれる素質なんてないだろうと落ち込んでいる人はいないだろうか。「経営者は専門職だから、あくまで機能のひとつでしかないですよ」と、未来の経営者に向けて語るのは、投資信託の業務オペレーションの自動化・効率化を掲げるロボット投信株式会社(以下、ロボット投信)の代表を務める野口哲氏(以下、野口氏)だ。学生時代から金融業界を経験し、そのまま金融業界で負を解決するために奔走を続ける野口氏。今回は、野口氏のこれまでの経歴と合わせて、ロボット投信創業時のエピソードを伺ってきた。
野口氏が金融業界に飛び込んだのは、大学4年生のとき。当時はまだ現在ほどの流行りではなかったインターンシップ制度を用いて、内定先だったSBIホールディングス子会社、SBIベリトランス の門戸を叩いた。そこでの恩師との出会いが、野口氏の人生を大きく変える。
野口 「インターンシップ制度を用いてSBIベリトランスに入ったときに、一緒に働かせていただいたのがSBIベリトランス創業者の沖田貴史さんです。生まれて初めて知った働く社会人が沖田さんだったこともあり、いつかは起業したいと感じるようになっていました」
沖田氏の背中を追いかけるうちに、だんだんと自身も経営者としての道を歩むことを志したという。SBIベリトランスでは、事業開発部に所属してインターネット決済の普及に関わる業務を担当した。
野口 「同じ事業開発部には6人が在籍していたのですが、そのうち4人が現在は経営者として活躍しているんです。今考えると、沖田さんの影響を受けて育ったため、領域は違うものの同じような道を志す人が多いのだと思います」
野口氏は、いつしか起業したいとは考えはじめていたものの、具体的な事業内容はまったく考えつかなかった。ただ、金融業界で起業することだけは念頭に置いていたのだという。
野口 「はじめて関わったのがインターネット決済に関わる仕事だったので、金融業界以外での起業はまったく考えなかったんです。それに沖田さんの背中を見ているから再現性が高いだろうとも考えていました」
現在のロボット投信に通ずるビジネスモデルは、SBI時代には考えていたと話す野口氏。ところが、起業前に一度、資産運用会社に転職している。そこには、業界を知りたいと感じた野口氏の考えが隠されていた。
野口 「SBIにいた頃から、起業時のビジネス領域について考えていました。決済は知見があるもののすでに競争が激化していたので望みは薄いと思って、もっとテクノロジーの入り込んでいない領域を探したんです」
そうして見つけたのが、投資信託だ。当時、投資信託のマーケット規模は変わらないものの、ファンドの本数がどんどんと伸びていた。そこで起きたのが、ファンドのメンテナンスコストの上昇だった。投資信託はファンドのパフォーマンスを上げることが命題であるにも関わらず、ファンドそのものに必要以上のメンテナンスコストがかかっていた。野口氏は、そのコストを投資信託領域のペインポイントと捉えた。
野口 「投資信託は、エクセルの表で一つひとつ手作業でつくっているような業界なんです。業務のあらゆる点で、テクノロジーの力が解決できる課題があるように感じました」
実際に業界を見てみようと考えて、資産運用会社に転職。業界のなかに浸かることで見える業界の負を集めた。
野口 「投信には、銀行や証券会社に対してのアドバイスやレポーティング業務があります。たとえば、手作業のため月次レポート発行には多くの営業日が必要。発行時にはそこに記載されているデータが古すぎて分析できないといった問題点がありました。ほかにも、パターン化できるはずの問い合わせに対して、オペレーターが同じ回答を繰り返す姿も見ていて。自動化・効率化・即時化など、さまざまな導線が必要なことを実感したんです」
起業を決めて入社した資産運用会社だったが、楽しさも募り5年間働いた。周囲から「起業する起業する詐欺だ!」と囃し立てられ、そろそろと腰をあげた。
野口 「とりあえず、まずは会社を辞めました。しばらくは登記をせずにサービスを考えたり、フラフラしてましたよ(笑)1年ほど経過したのちに、インキュベイトファンドの村田さんと出会ってシードで1億出資してくださることになったので、そのタイミングで登記しました」
証券会社や運用会社などの業務のなかで自動化・効率化するべき業務を見つけて、RPAの導入を行うことで事業の方向性は固まっていた。2016年の創業以来、変わらず投資信託業務における効率化と、さらには透明化・平易化なども視野に入れたサービスを展開している。
野口 「まずは、ロボット投信が提供するコアサービスを生み出すことに注力しています。その後、あらゆる側面から機能を追加することで、コアサービスに枝葉の付いた状態を作り出したいです」
月次レポートを自動で作成する「ロボット・レポート」は、その第一弾といえる。野口氏が、業界のなかで働くうちに感じていた月次レポート作成の自動化が、今回実現した。
野口 「投資信託の世界はまだまだユーザーも多くありません。きっと、名前は聞いたことあるけれど、難しそうだからと敬遠する人が多いのでしょう。これからは、業界内の負だけにとらわれず、投資信託そのものの選択肢を選ぶ人が増えるよう平易化にも取り組んでいかなければなりません」
淡々と言葉を続ける野口氏だが、金融業界のスタートアップは業界独特の苦労もあるのだという。野口氏が起業後に抱えた一番の不安は、仕事が入る見込みがないことだった。
野口 「サービスを提供するお客さまは、みんな金融機関なので堅牢性や信頼性が重要なんです。こんなたちあがったばかりのスタートアップに仕事を依頼してくれるのかどうかと、初期の頃は不安で胸がいっぱいでした」
ところが、野口氏の不安をよそに、サービスを利用したいという声は方々から上がった。さらには、出資の提案まで舞い込んだという。
野口 「三菱UFJ銀行さん、みずほ証券さん、カブドットコム証券さんなどは、サービス利用や協業にとどまらず出資までしてくださった企業です。同じ業界から出資をいただけたことで、追いかけているビジネスが間違っていないことがわかって本当に安心しました。とてもありがたかったですね」
スケールするかどうか、決して不安がなかったわけではない。ただ、長い期間をかけてビジネスモデルを決めたのだからという、確信にも似た想いを抱いていた。また、沖田氏から学んだ経営者としてのあるべき姿を追いかけた野口氏は、不安と戦いながらも譲らない自信を持っていた。
野口 「これまで沖田さんの姿を追いかけるように経営者の道を歩んできました。下駄を履かせてもらっているといいますか、なにもないところから起業したわけではない安心感は常に感じていましたね」
起業して2年が経過した。「今、過去を振り返ってもしも自分に言葉をかけるなら?」という編集部の問いには、朗らかな様子でこう答える。
野口 「そのままで間違っていないから大丈夫、と言いますね。起業してから気がついたのですが、経営者は専門職なのだと思います。意思決定をするための、専門職」
企業のなかで意思決定に関わる人は、そう多くない。経営者は、そのなかでも意思決定に携わる稀有な存在だ。そんな意思決定できることのメリットを、野口氏は熱く語る。
野口 「意思決定は、複利で積み重なる経験だと考えています。会社にはさまざまな役職が存在し、意思決定の量と質も異なります。投資の世界では複利の話が頻繁に飛び交うのですが、これは意思決定に当てはめて考えることもできるでしょう。なるべく早い年齢のうちに、代表権に近い意思決定ができる環境を見ておくことで、その先で見える景色は何年後かにはまるで変わるはずです」
そんな大きな意思決定を遂げた人物として、野口氏はロボット投信への投資を行うインキュベイトファンドの村田氏の名前を挙げる。
野口 「村田さんは、起業のノウハウも経営のノウハウも大きな失敗も持っているうえに、大きな成功も成し遂げている方です。はじめて会ったときから、出資してもらうなら村田さんしかいないと感じました。今となっては、共同創業者のようだと感じていますよ」
自分が経営者に向いているのかどうか、スタートアップに向いているのか、時には迷うこともある。間違った選択をしたのではないかと焦るときもあるだろう。しかし、スタートアップへの転職は自分の能力を別の場所で活かす経験にしか過ぎない。起業は、経営という機能のひとつを経験することにしか過ぎない。もしも迷ったときは、そんなふうに機能のひとつとして捉えてみてほしい。きっと、今までよりも違ったかたちで起業や転職を受け入れることができるだろうから。
執筆:鈴木しの取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:中野翼