BtoB領域のビジネスモデルは日常生活ではみえづらい。しかしながら、それは社会の至る所に浸透し、見知らぬところで恩恵を受けていることも多い。コンシューマーサービスのような派手さはないけれど、着実に世の課題を解決している企業は星の数ほどある。今回はそのうちの1社を紹介したい。お話を聞いたのは、企業の研究開発をAIとロボティクス技術で支援するMI-6株式会社の代表を務める木嵜基博氏。同社のテクノロジーは、製造業全体で約20%の市場規模を占める巨大産業の下支えをしていた。
前段で話した巨大産業とは「工業製品の素材開発」だ。しかしながら、いきなり「素材開発」と言われても耳に馴染みがない人もいるだろう。そこで本題に入る前に、少し解説を加えたい。工業製品における素材とは、プラスチック・繊維・パルプ・ガラス・セメント・電子機器用の化学品など多岐に渡る。これらの素材が集まりプロダクトができているが、分かりやすい例として、手元のスマートフォンを見てみよう。液晶パネルにはガラス基板や偏光板、バッテリーには電解液やセパレーターが使われている。同様に、家電も家具もパソコンも、家にあるほとんどの工業製品は素材と素材の組み合わせでできている。そして、それらを開発するのが素材産業の役目だ。業界規模はとても大きく、全体出荷額はなんと56兆円。この数字は製造業全体の5分の1になり、日本のリーディングインダストリーになっている。
木嵜「日本は素材開発に強い国です。分かりやすいところで言えば、昨年旭化成の吉野さんがリチウムイオン電池の開発によってノーベル賞を取りました。他にも素材領域で世界トップシェアを誇る企業も多い。液晶テレビに使われる素材を見ても、ガラス基板・TACフィルム・偏光板を生産する国内メーカーのシェアは全世界で5割以上になっています。世界に誇る日本の素材開発を下支えしてきたのは、企業の研究者です。彼らは新しい素材に求められる機能を汲み取り、職人的な経験から開発を行ってきました。しかし、近年では国際的な開発競争の激化や製品サイクルの短期化が重なり、より短いスパンで新素材を開発することが求められています」
この状況に対応するために生まれた技術が、同社がビジネス領域にしている「マテリアズ・インフォマティクス(データを活用した開発手法、以下MI )」だ。
木嵜「従来の素材開発は、とてもアナログな手法で進められてきました。求められる機能に合わせて複数の原材料を組み合わせ、数百回、数千回と実験を繰り返してデータを取得していきます。それこそ無数の組み合わせが考えられるので、実験と検証に多くの時間とコストが費やされてきました。一方でMIはデータベースや人工知能を活用して素材開発を行います。データベースをもとにAIで確度の高い実験候補を出しながら実験サイクルを進めるため、従来は10年かかっていた開発期間を1〜2年に短縮できることもある。現に、トヨタ自動車が5年をかけて開発していた素材を、後発企業がMIを用いて1年で完成させてしまうケースがありました。開発期間の短縮はそのままコストの削減にもつながります。素材産業はサプライチェーン全体に関わる業界ですし、素材の進化は工業製品の進化に直結します。スマホやパソコンの小型化も素材の進化がなくては成り立ちませんでした。このように素材開発は、製造業の競争力に強い影響力を持っている産業です。競争力を維持するために、MIの普及は製造業全体が取り組むべき課題だと思います」
しかしながら、国内ではMIの導入が進んでいない。いったい何が障壁となっているのだろうか。
木嵜「まず考えられるのが、MIが登場してまだ日が浅いことです。この技術が本格的に動き始めたのは10年前ですし、日本では2013年頃に東京大学などが研究を始めたばかり。世界的に見ても卓越したプレイヤーは存在していません。加えて、素材開発の現場では長らく直感と経験が重視されてきました。従来のやり方が『こういうものだ』と根付いているため、新しいやり方が入り込みづらいのです。また、MI に必要なデータは蓄積されていても重視されてこなかったため、保管方式や管理場所がばらつき、活用が難しい。データを扱うことが出来るデータサイエンティストの人材不足、またMIに適した解析ツールの不足も挙げられます。しかし、先述したように開発期間の短縮はこの産業の命題です。MIの導入は、今後の素材産業に欠かせない要素になるでしょう」
周知の通り、製造業は日本の経済の牽引役だ。この産業が衰退すれば、そのあおりをうけ、様々な産業が後退してしまうだろう。同社はテクノロジーを用いてこの課題を解決しようとしている。
私たちが普段目にすることがない素材開発の世界。それは製造業の礎となり、国の経済を支えていた。ここで気になることがある。なぜ木嵜氏はAIを用いて素材開発の支援をしようと考えたのだろうか?
木嵜「きっかけは前職での経験です。シェアサイクルを展開するグローバル企業の日本責任者をしていた際に、R&Dの一環で自転車を開発していたのを横で見ていました。素材メーカーからも資金調達するなど、素材開発から検討していた中で、素材という幅広い産業の下支えをする業界に関心を持ちました。色々調べていくうちに、日本の素材産業の強みや技術力の高さを実感しました。同時に、日本の素材産業はデータ活用が遅れている印象を受けました。日本の企業には卓越したノウハウが蓄積されていましたが、データ活用ではアメリカや中国が圧倒的に先を行っている。加えて、開発競争が激化していることも聞いていたので、大きなペインが眠っているのではないかと考えたのです。産業の内需と外需を考えた時に、外需がなければ国の経済は衰退していきます。外貨を獲得できる産業は国内に数えるほどしかありません。日本のコンテンツやエンタメは海外で高く評価されていますが、1億2000万人は養えない。その点で、素材開発は日本で最も外貨を獲得している希望の星だと思えました。そう考えていた時に黎明期からMI研究を行なっている津田宏治先生と知り合い、MI-6の立ち上げに踏み切りました」
創業は2017年。起業にあたり津田氏を共同創業者に迎え、同社は順調に導入事例を増やしている。ソリューションを提供する中で副次的な効果も生まれた。MIが素材開発の時間とコストを削減してくれることは先に述べた通りだが、研究者のペインを解決する手段にもなっているそうだ。
木嵜「素材の研究開発は大きく分けて、『開発テーマの選定』『実験の設計』『実験によるデータ取得と評価サイクル」の三段階に分かれています。このうち相対的にクリエイティブな領域である『開発テーマの選定』『実験の設計』を担うポジションは数が限られている。そのため、才能を持っていても地道に実験を繰り返す時間に大部分を割いている人も多いのです。これはすごく勿体無い状況です。MIの導入企業のなかには、実験の総数を削減することで、よりクリエイティブな領域に従事できる研究者も生まれています」
クリエイティブな領域に関われる研究者が増えれば、アイディアの総量が増え、生まれる素材の数も増えるだろう。日本の素材産業は卓越した技術とノウハウを持ちながら、急速にアメリカや中国に追いつかれようとしている。同社の技術はその状況を打破してくれるかもしれない。
MI領域には、世界を見回してもまだ主要なプレイヤーがいない。木嵜氏はその領域にいち早く飛び込んだ。ビジネスを起こす際に、戦うフィールドはとても重要だ。もし、市場が育ちきっていない領域に挑戦する際は、何を心がければ良いのだろうか。
木嵜「新しい市場が生まれるパターンは大きく2つに分けられると思います。ひとつは『破壊的イノベーションが起きて生まれる市場』、もうひとつは『既存技術が組み合わさって生まれる市場』です。破壊的イノベーションが起きる機会はそう多くありませんから、多くの企業は後者の市場に挑戦すると思います。その時に提供するソリューションは、複数の専門領域を組み合わせて生み出した方が良いでしょう。なぜなら現代では、ひとつの専門領域で解決できる大きな課題はほとんど残っていないからです。たとえば環境問題の学者は、ひとりでは地球環境を改善できません。なぜなら、今地球に起きている危機に警鐘を鳴らすことができても、ひとりではその先にある社会や経済を動かせないからです。だからこそ、複数の専門領域を組み合わせなければ解決はできないと思います。役割はひとりで全てを担う必要はありません。異なるバックグラウンドのメンバーを集めるために、会社はあるのですから」
この時に力を借りられる相手は社員だけではない、投資家やVC、時には大手企業の協力をあおぐ時もあるだろう。木嵜氏はさまざまなステークホルダーを巻き込むために何を行ってきたのだろうか。
木嵜「色々なことをしてきましたが、最終的には大きなビジョンを掲げ、そこに共感してもらえるかに尽きると思います。素材開発の現場では50年前から変わらず存在している慣習があり、様々な問題を生んでいました。みんな漫然と『このままじゃいけない』と考えていますが、解決の糸口が見つけられない人も多いと思います。日本の製造業全体に目を向けてみれば、徐々に衰退していることは周知の事実です。それを変えるかもしれないMIに希望を見出してくれたのではないでしょうか」
木嵜氏は会社のビジョンとして、「素材産業の“産業革命”を起こしたい」と話してくれた。その過程で、素材とプロダクトの進歩も進んでいくだろう。もしかしたら、人々が漫画やSFの世界で思い描いた「未来の道具」が実現する日もやってくるかもしれない。実現の可否はMIの普及にかかっている。
執筆:鈴木雅矩取材・編集:BrightLogg,inc.撮影:小池大介