車は環状2号線を快調に飛ばしていた。平日の夜。渋滞はない。運転席に座る男性起業家はアクセルを軽く踏み込んだ。
「自分も、元々はそのつもりだったんです」
男性は静かに語り始める。数年前にスタートアップを立ち上げた男性は、M&A(合併・買収)によるイグジットを真剣に検討した過去がある。
「でも、失敗しました。そのあと数千万円の資金調達をしました」
2023年に確認された国内スタートアップのM&Aは123件。ここ数年は緩やかに増加しているが、国内では「IPO(新規株式公開)偏重」と指摘されて久しい。
M&Aイグジットの比率を上げる必要性は国のスタートアップ育成5か年計画にも明記されている。しかし課題はまだ多い。その一端を知って欲しいと、M&Aイグジットを断念した経験のある現役起業家が匿名を条件に取材に応じた。
夜の東京、車中のインタビューが始まった。
「起業家には色々なタイプがいると思うんです」
M&Aイグジットを目指した理由について聞かれると、男性は口を開く。
「心の底から時価総額1,000億円にしか興味がない人もいる。1,000億に届くか、ゼロか。要はスモール・イグジットに興味がない。私の知る起業家の半分以上はそういう人です」
「私は違った。確実にイグジットの実績が欲しかったんです。大きな金額にならなくても、イグジットの成功例を作りたかった」
男性はM&Aの可能性を模索してヒアリングなどを続けた。売れるかもしれないという希望は見えたが、男性の会社に出資していたVC(ベンチャーキャピタル)の反応は冴えなかった。口には出さないまでも、IPOを期待しているのはありありと感じ取れたという。
「マルチプル(倍率)の問題があるのです。市況にもよりますが、上場すれば営業利益の何十倍という時価総額がつくこともあり得る。実力値に対して高い評価がされることもあるわけです」
ところが、M&Aとなると値段の付け方が変わってくる。
「M&Aはかなりシビアな印象があります。特に、利益が出ていないスタートアップであれば『シナジー』でしかその会社の価値を測れなくなってしまう。一般的には、上場した方がイグジット時の金額が大きくなります」
器用にハンドルを操りながら男性の講義は続く。VCが運営するファンドをめぐる事情に話は進んでいく。
「例えば評価額2億円の会社に2,000万円を出資して、5倍の10億円でM&Aしたとしましょう。普通株の場合、VCの利益は8,000万円です。もしVCの運営するファンドの総額が100億円、数百億円の規模だったら、数千万円のリターンというのは妥協できる範囲ではないかもしれない。投資家には投資家の事情があるのは当然です」
小さなスケールだとしてもM&Aイグジットを果たしたいと起業家と、一定以上のリターンを期待したい投資家。「両者の利害が異なるケースはあり得ます。まさに私がそうなりました」と男性は振り返る。
スタートアップはVCなどから出資を受ける際に投資契約を締結する。男性によると、契約の内容によっては、M&Aイグジットを阻害しかねないものもあるという。
「私たちの投資家は起業家フレンドリーで、(縛るような内容は)ありませんでした。ただ、そのような(合意形成できない)状況では買い手も嫌がりますし、バリュエーションが下がる口実にもなりかねない」と男性は指摘する。
男性の知り合いにあたる別の起業家は「スクイーズアウト」を駆使してM&Aイグジットを成立させた。日本語で「締め出し」を意味するこの手法は、同意を得ることなく少数株主の株式を強制的に買い取るものだ。
「最低でも2回は相談するそうです。2回話せば、反対されたとしても『仁義を通した』という判断だということです」と男性は話す。
車は幹線道路を離れ、曲がりくねった夜の道に差し掛かっていた。男性には会食の予定が控えている。あてもなくコインパーキングを探していた。最後に改めてM&Aを模索した時期を振り返ってもらうと、静かにこぼした。「買い手を見つけることから既存株主との交渉まで、不確実なディールが続く。別のタイプのストレスがかかってしまった」。
男性の経営するスタートアップは、これからも複数の選択肢からイグジットを模索していく。
M&Aイグジットの件数は緩やかに増加している。出口戦略の多様化をめぐっては、買い手や売り手、それに行政による支援など多種多様なステークホルダーが存在する。業種やスタートアップの事業ステージによっても状況は異なり、男性が話してくれた課題もその一部に過ぎない。
国内スタートアップの出口戦略が多様化していくために求められる視点は。STARTUPS JOURNALは今後、有識者へのインタビューを掲載する。