大学の研究をビジネスに活用する、大学発スタートアップのための大学VC。全国でもVCを擁(よう)する国公立の大学は増えてきたが、未だ私大のVCは数が少ない。
そんな中で、私大のVCとして注目を浴びているのが、慶應義塾大学の慶應イノベーション・イニシアティブ(以下、KII)だ。今回はグリーの共同創業者で、KIIの代表取締役社長を努める山岸広太郎氏に、大学VCの意義や、投資するポイントについて話を伺った。
KIIの目的は、慶應義塾大学で行われている研究成果の社会実装だと山岸氏は話す。大学の研究成果は、社会的に大きなインパクトを生み出せる可能性があるものが多いが、適切にビジネスを展開しなければ、社会貢献に繋げるのは難しい。そして、研究の成果が社会で実績を出すにはスタートアップの力が必要だと山岸氏は語る。山岸「従来、大学の研究成果が社会実装されビジネスとして大成功したというケースはあまり多くありませんでした。ひとつには研究者の方の目的が成果の社会実装ではなく、新しい科学的な真理を発見することであるからです。そのため、論文や学会発表ができれば良いという考えが多かったのです。 大企業との共同研究においても、企業秘密になるコアの部分は企業内の研究所で行い、ノンコアの領域において、研究室との関係づくりを主眼として共同研究が行われるようなケースが多かったことが課題でした。 また、いざ研究を事業化しようという話になったとしても、研究として優れているかどうかとビジネスとして成功するかどうかは別の話です。社会的インパクトをもたらす可能性がある研究成果だとしても、事業化するためには研究とはまったく別のさまざまなハードルを乗り越えて行く必要があります。 研究者が研究に打ち込む情熱と同じレベルで、人生をかけて事業を立ち上げていかなくてはなりません。事業としての目標が高ければ高いほど、リスクが大きく、優れたチームが必要です。外部からリスクマネーを調達して優秀な人材を採用し、急成長を目指すスタートアップの経営手法は大学発ベンチャーに適しているといえます」そのような背景があるからこそ、大学発スタートアップが活発になったのも最近のことのようだ。ところで、なぜ私大にはVCが少ないのだろうか。
山岸「研究成果を元にしたスタートアップがたくさん生まれるかどうかは、大学にどれくらい研究成果が積み重なっているかが肝です。大学としての研究成果の層の厚さは、その大学が獲得してきた科学研究費や外部資金とある程度相関があります。科研費の採択や配分ランキングを見ると、例年トップ20は殆どが旧帝大を中心とした国立大学や理研などの公的な研究機関で、私大では慶應と早稲田がなんとか10位前後にいる状況です。 国立大学への科研費の配分が多い理由は、医学部や理工系の学部・研究科の教員、研究者数が国立の方が圧倒的に多いからです。 私大系のVCは慶應、早稲田、東京理科大などがありますが、いずれも私立の中ではかなり研究の蓄積と研究者の人数が多い大学です」
キャピタリストとしての話も聞いてみると、投資リターンが望める分野について、こう語ってくれた。
山岸「大学ベンチャーとして大きな収益が期待できる領域のひとつは創薬分野ですね。創薬というのは科学的な研究がないと始まりません。治療法がない病気に対して、新しい薬が作れれば、確実にニーズがあり大きなビジネスになります。難易度は高いですが、ビジネスとしては投資リターンの大きい分野です。 もうひとつ期待しているのが宇宙やロボットの分野ですね。これからの社会問題である、高齢化や労働人口の不足に対する解決策として注目されています。もちろん、AI、ビッグデータ、IoTなど、データ解析で高度な数学的知識やアルゴリズムなどが必要な分野は、アカデミアとの相性がよく、投資分野として有望です」
アカデミックな知見が必要な分野は、投資リターンが良いようだが、山岸氏はスタートアップのどのようなポイントを見て、投資するかどうかと判断を下しているのだろうか。
山岸「大きく、創薬と、それ以外の分野では企業の見るポイントが異なります。創薬は、どの疾患に対して取り組むかで、市場規模が大きく異なります。そして、どの疾患に取り組み、どんなフェーズにいるかによって、いつどんなコストが発生するかある程度読むことができるのです。 しかし、コストは予測できても実験や治験で良いデータが出るかどうかというサイエンス上のリスクは読みづらいです。創薬の開発は治験の結果で成功が左右されます。どんなに研究が順調に進んでいても、最後に治験で悪いデータが出ればそこで研究は終了となってしまいます。もちろん良いデータが出ることを期待して開発を進めるわけですが、本当に良いデータが出るかどうかは、やはり結果が出るまで分かりません。 創薬分野の投資判断においては、必要資金も大きく、進み始めるとピボットも簡単にできない分野なので、創薬以外の分野で見るような要素に加えて、リスク・リターンの計算をシビアに行っています。 具体的には、対象とする疾患の患者数や薬価を試算し、そこからEXIT時の企業価値を算出して、創薬業界における開発から上市までの成功確率の統計データなどと比較し、投資時のバリュエーションが適切なのかを見ています」
対して、創薬以外の分野では、どのように投資判断を下しているのだろう。
山岸「創薬以外の分野では、通常のVCと見るポイントは変わりません。しっかり強いチームが作られているか、経営陣がビジネスを追究していけるかが判断ポイントになります。こんなチームなら成功するという、鉄板の法則はありませんが、うまくいかないケースは分かっています。 たとえば、お金の使い方が緩い会社。技術系ベンチャーだとシニアな人が経営者になるケースも多いのですが、大学の研究室のノリなのか、中小企業のノリなのかわかりませんが、オフィスをやたら豪華にしたり、たくさんの拠点を無駄に借りたり、社長ひとりしかいないのに秘書を採用したり、調達した資金で自分だけにやたら高い給料を払って他のメンバーの給与は安かったりという会社は成功しません。私心をなくして、会社を成功させることを最優先で考えていなければ、人もついてきませんし、ビジネスもうまくいかないですね」
ボードメンバーを見て投資判断をするのは、一般的なVCと変わりない。もちろん、人だけではなく、ビジネスもしっかり見て判断していると山岸氏は続ける。
山岸「経営陣や技術力に加え、社会的なインパクトの大きさや事業としてのスケーラビリティと収益性があるか、という点も大きな判断基準になります。 BtoBとBtoCで比べると、BtoBの方が投資判断がしやすいです。BtoBの場合はスタートアップがやろうとしていることに価値を見出してくれる顧客がいるかどうか、外形的な環境分析や想定顧客へのヒアリング、実証実験の進捗状況などで感覚を掴むことができます。 対して、BtoCは判断が難しいです。スマートフォンのアプリで完結するようなものだとしても、よっぽどのシリアルアントレプレナーや実績のある人じゃない限り、企画書だけではなかなか判断できません。 一番悩ましいのはコンシューマー・エレクトロニクス的な要素があり、かつ製品開発が完了するまでに時間がかかること。そもそも、そのコンセプトが本当に消費者のニーズがあるものなのか判断するのが難しいですし、消費者が買える価格で提供可能な魅力的な製品を開発しきれるのかも分かりません」
では、KIIの投資先で芽が出始めているは、どのようなビジネスを展開している企業なのだろうか。
山岸「投資先で普通に売上が立って業績が伸びているのは大企業向けにビッグデータを扱っている企業ですね。多くの大企業がセールスやマーケティング、HRなどさまざまな分野でビッグデータやAIを使って新しい収益機会を見つけたり事業の効率化を進めようとしており、スタートアップのサービスや製品を導入することに驚くほど前向きになっています。 一旦サービスを導入してもらえれば、継続的な収入になりますし、社内での導入アカウントを増やしたり、オプション機能を追加してもらったりと単価を上げていくことも可能です。 とくに、受託型ではなく、SaaS型というかパッケージでプラットフォームを提供して、顧客側でカスタマイズしてもらうようなものが一番手離れがよくスケーラビリティと収益性の両立が図れています」
山岸氏は、以前に比べて、今のスタートアップは資金調達もしやすく、人の採用もしやすくなったと話す。一方で、大学発のスタートアップには圧倒的に経営人材が足りないという。それには大学発スタートアップならではの理由が存在する。
山岸「大学発スタートアップに経営人材が足りない理由は、求められる能力が一般的なスタートアップとは異なる点にあります。大学発スタートアップでは、高度な研究についても触れなければならず、科学的な知見が求められます。 その一方で、事業としては大企業を相手にしなければならないことが多く、ビジネスマンとしての高いレベルの能力も求められます。 研究者がスタートアップにフルコミットできる状況であれば、研究開発側は任せることができますが、事業開発やファイナンスを行う側もある程度サイエンスに対する理解がなければ会社を上手く経営することはできません。 理系のバックグラウンドを持ったビジネス人材は増えていますが、それ以上にそんな人材を求めているスタートアップは存在するので、より増えてほしいと思っています」
山岸「事業をスケールさせていく上では、経営人材に加えて、製造やマーケティングなどの分野で高度な専門知識と経験を持った人材も必要になります。既存の産業や前例のない分野に挑戦するスタートアップでは、地頭がよくて、体力がある若い人が有利です。 ただ、すでに市場や産業が存在し、専門性を必要とされる領域ではそうはいきません。たとえば、工場を作ったり、医療機器などのプロダクトを作る際には、そのような経験を持つ人を採用しなければなりません。それが大学発スタートアップの採用の難しいところでもあります」
スタートアップでの人材不足の解決策を聞くと、山岸氏は「大企業を含めた人材の流動化」だと答えてくれた。
山岸「まだ日本の大企業は新卒一括採用、終身雇用のシステムが残っている会社も多いです。一度、大企業を離れた人材が、また大企業に戻るのことが難しいため、スタートアップへの転職の障壁となっているのです。 対して外資系のコンサル企業で働く人材は、スタートアップへの転職は一時的に給料は下がるものの、ダメならまた同じ業界に戻ればいいと思っています。そのため、割り切ってチャレンジできるのでしょう。 IT業界も人材は流動的で、いろいろな会社をぐるぐる周ってる人もいますが、製造業界に近づくほど状況は変わります。もっと大企業でも、人材の流動性が上がれば、スタートアップにも人材が集まると思います」
東大など一部の大学の理系では、若くして起業し、IPOやM&Aなどで大金を手にするなど、ある種の成功事例も出始めており、スタートアップへの理解が深まっているようだ。そのようなケースが他の場面でも見られるようになればいいと、山岸氏は言う。これから日本でスタートアップへの理解が深まるために、どんなことが必要なのだろうか。
山岸「日本人はもっと(上場株の)株式投資をした方がいいと思いますね。日本は金融教育がなされていないので、株式投資を理解していない人が大勢います。米国では多くの人が株式投資をしているので、普通の人でも上場予備軍のスタートアップに関心を持っています。20年も前からAmazonやGoogleに投資をしているので、自分の資産形成への影響も大きく、関心も深くなります。 日本でももっとみんなが株式投資をすれば、スタートアップも身近に感じると思います。いきなり本格的な投資でなくても、まずはマザーズで最小単元で株を買ってみるなどすれば、金融リテラシーも上がって、スタートアップの活発化にも繋がると思いますね」
新興市場が盛り上がっていけば、結果的にはスタートアップの資金調達環境も良くなっていくだろう。現在の日本のスタートアップの資金調達について、山岸氏はどのように見ているのだろうか。
山岸「スタートアップ1社あたりの調達環境はよくなっていますが、スタートアップ全体でみると、調達額はあまりにも少ないですね。昨年の日本のスタートアップの資金調達額の合計は、年間約3,800億円。日本の金融資産全体からみたら、誤差のような金額です。大企業1社だけでも、もっとキャッシュを持っている企業はあります。 日本は、もっとスタートアップに投資されてもいいと思います。そのために、魅力的なスタートアップが増えていくこと、それを評価するVCがもっと洗練されていく必要がありますね」
スタートアップが増えるためには、「チャレンジするリスクを下げる必要がある」と話す山岸氏。スタートアップへチャレンジするリスクを減らす方法として、スタートアップのM&Aがもっと増えればいいのだという。
山岸「海外では当たり前のように起きているのがスタートアップ同士のM&A。ある分野で1社が勝つと、競争に敗れた会社をどんどん買収していくんですよ。そうすると、業界で2番目、3番目の会社で働いている人たちも、業界トップの会社に行けるので、結果的にリスクがなくなるんです。日本でも最近はメルカリが積極的に企業を買収していますが、そういう事例がもっと増えれば、スタートアップにチャレンジするリスクがもっと低くなると思います」
では、スタートアップでチャレンジするとは、いったいどういうことなのだろうか。
山岸「今後もスタートアップがどんどん増えて産業としての厚みが増していくのは間違いないです。ただ、そこで個々の会社が成功するかどうかはやってみないとわからない。仮にチャレンジした結果自分の会社が成功しなかったとしても、スタートアップで頑張った経験は必ず活きてきます。 その経験は他のスタートアップで活かすこともできますし、これからは大企業でも終身雇用と新卒一括採用が崩壊し、スタートアップ人材を積極的に採用するようになるはずです。ですので、短期的にはリスクのように感じるかもしれませんが、長期的なリスクはさほど大きくありません。もし、スタートアップへの転職を悩んでいる方がいれば、早い段階で決断して経験値を積むのがいいかと思います」
一般の方がもっとスタートアップに興味関心を抱けば、スタートアップが活発していくだろうと話す山岸氏。大学という教育の場から、もっと活発にスタートアップが誕生し、成功する事例が増えていけば、多くの方の興味関心を持ってもらえるだろう。大学のVCは、スタートアップへチャレンジするハードルを下げる役割も果たしてくれるかもしれない。
執筆:鈴木光平編集:Brightlogg,inc.撮影:高澤啓資