運動を始めよう、と思い立つタイミングは多い。
年末年始で太った気がしたとき、夏が近づいてきたとき、健康診断の数値が悪かったとき…。
しかし、実際の行動に移す人は多くないようだ。帝国データバンクによると、国内のフィットネスクラブ会員数はおよそ500万人と人口の5%程度にとどまる(2021年5月)。先進国のなかではかなり低い水準だ。
「フィットネスクラブに入会してもどうせ続かないし、退会手続きも面倒そう、という潜在意識が日本全体に根付いています」。そう話すのは「hacomono」(東京渋谷区)の蓮田(はすだ)健一・CEOだ。
同社はフィットネスクラブやヨガ、運動スクールなどの「ウェルネス産業」向けの基幹システム「hacomono」を提供する。入退会手続きや月謝の支払いなどを全てオンラインで完結させ、利用者と施設スタッフを煩雑な手続きから解放する。
hacomonoは4月までに38億5,000万円の資金調達を完了した。これまで切り込んできたフィットネス市場の外にもサービスを広げることなどが目的だ。予定通りの金額は集め切ったが、調達活動の過程で蓮田CEOが直面したのが市況の悪化だ。
マクロ経済環境の変化で資金調達環境は厳しさを増している。実際に調達活動に臨んだ蓮田CEOが感じた変化や、そこから得た教訓とは。話を聞いた。
hacomonoはフィットネスクラブなどのウェルネス産業向けのSaaS(クラウド上で提供されるソフトウェアサービス)だ。「施設のスタッフだけではなく、エンドユーザー(施設の利用者)も使うシステムです」と蓮田CEOは解説する。
例えばジムの入会手続き。これまでは申し込みに必要な本人確認書類などをチェックし、店舗に足を運び、紙の入会申込書に個人情報を記入していた。場合によっては数十分かかるこの作業を、hacomonoは全てオンラインで完結できるようにした。施設の利用者もスタッフも、手続きに時間をとられずに済む。
入会後は、ジムで開かれるエアロビクスなどのレッスンの予約もできる。スタッフが常駐していない24時間型のジムの場合、hacomonoのシステムが発行するQRコードなどがカードキー代わりになる。施設側はこうした行動履歴を集約し、顧客一人ひとりに合ったサービスを提案できる。
「お客様に合った接客をすることで長く通っていただける。退会もしやすいため、必要になった時にまた通いやすくなる。全体として敷居を下げることができました」と蓮田CEO。フィットネス業界を中心に浸透させていく戦略が奏効し、導入店舗数はここ1年あまりでおよそ3倍の3,000となった。
「我々は事業の進め方を『ボーリングピン戦略』と呼んでいます。センターピンであるフィットネス業界を狙って、そこから隣のピンへ広げていく。今はフィットネス業界に深く刺さっています。プロダクトを知ってもらえれば(商談の)勝率もかなり高い。どんどん顧客が増えているフェーズです」
不安材料だったのがコロナ禍だ。特にhacomonoが「センターピン」と位置づけるフィットネス業界は大きな影響を受けた。帝国データバンクによると、新型コロナウイルスが流行した2020年度は利用者・会費収入ともに大幅減。同年度のフィットネス事業者の倒産や廃業は累計26件で、リーマン・ショック直後に迫る。
「マーケット規模はやはり縮小している」と蓮田CEO。一方で、悲観的に見てはいない。
「大手さんでは会員数が減少するなどしていますが、コロナ禍になってから24時間ジムや無人ジム、それに『コンディショニングジム』と呼ばれる身体を整えるジムが増えています。小型の店舗で(業績を)伸ばしている会社も逆に多いのです。大手の会員数も戻ってきて、また上り調子になるのではないでしょうか」
hacomonoはシリーズCとして38億5,000万円の資金調達を完了した。当初予定していた金額を集めきった形だが、蓮田CEOは「市況の悪さを非常に強く実感した」と振り返る。スタートアップの資金調達環境は、アメリカなど世界の中央銀行の利上げの影響を受けて厳しさを増している。
「我々はシード・アーリーからミドル・レイターに乗っていくタイミングでした」と蓮田CEO。上場に近いステージへ進むほど、市況の冷え込みの影響をもろに受ける。調達活動の難易度も引き上がった。
特に変化を感じたのがバリュエーション(評価額)だ。未上場のスタートアップの評価額は、上場企業の時価総額を参考に決められることが多い。
「SaaSのマルチプル(売上や利益などにかける倍率)が日に日に下がっていくなかで、我々の希望とするマルチプルに対してもそういう(低い)レスポンスを頂くこともありました」と蓮田CEOは明かす。
事業の推進力を示す「トラクション」は高い伸びを示し、既存投資家も早い段階で追加出資を決めた。プラス材料は多かったが「『凄く良いですね、でも…』という反応が多かった」と投資判断までには至らない。海外投資家とも話をしたが、日本のスタートアップへの投資には消極的になったと感じた。
投資家はどこに課題を感じていたのか。蓮田CEOはこう分析している。
「hacomonoが本当にユニコーンになれるかどうか。これは凄く大きいです。レイターになればなるほど、投資家もリターンの倍率は気にします。2、3倍ではなく5倍〜10倍になるためにはユニコーンへの成長は必須だと思います」
ユニコーンへ成長するには、より大きな市場でシェアを獲得することも求められる。「フィットネス以外の業種の伸びをもう少し見てから、と言われることもありました」と蓮田CEOは話す。
それでも目標金額を集め切ることはできた。決め手になったのはチャーンレート(解約率)やNRR(売上継続率)といった指標だ。蓮田CEOは「どれだけ顧客に刺さっているかを示す定量指標」と位置付けている。
「NRRに関しては、顧客が導入してから(他の)店舗への広がりやオプション機能の追加契約もあり、年間で135%となっています。一度導入すると効果が実感でき、よりhacomonoを使うようになる。そして顧客の経営状態が良くなる。その実感を表現するという視点でアピールしました」
投資家が懸念した「フィットネス以外への広がり」。蓮田CEOはすでに手を打っている。まずは事業ターゲット。水泳などの運動スクールや、体育館など公共の運動施設での導入事例を増やしていく方針だ。
加えて、資金調達をきっかけに本格化させるのがフィンテック事業だ。クレジットカード決済や口座振替の顧客体験を改善させるほか、施設向けには業務委託スタッフへの給与支払いや備品の共同購入機能なども実装する方針だ。「業界特化型の金融事業をやっていきたい」と蓮田CEOは意気込む。
さらにその先に見据えるのが、先端技術を活用して利便性の高い街づくりを実現させる「スマートシティ」との連携だ。「日本では今後、スマートシティ化が進んでいきます。その構想に『スマートウェルネス』として関わっていきたい。1施設ずつ営業していくスタイルから、例えば一度に50施設で導入される、というところへ持っていきたいです」と蓮田CEO。大手デベロッパーや、スポーツを通じた地域活性化を掲げるサッカー・Jリーグなどとの連携を深めていく。
次のステップに向けて事業を加速できるのは、厳しい環境下での資金調達を乗り越えたからこそだ。今回の活動で得た教訓について問われると、蓮田CEOはこう答えた。
「やはり『資金調達のために準備する』というスタンスは非常に良くないと思いました。普段の経営サイクルのなかで管理会計をきちんとやり、具体的な指標を見ながら現場のPDCA(計画・実行・評価・改善)を回す。その延長線上で資金調達活動ができるかが、より問われるのではないでしょうか。かつてのSaaSバブルとは異なり、細かい部分が見られている時代。資金調達のためだけに準備していると、そこまで語れないですし、データもすぐに準備できません」
世界経済の不透明性は依然としてスタートアップの資金調達環境に影を落とす。hacomonoには、投資家の挙げた「ユニコーンになれるか」などの課題がこれからも付き纏うかもしれない。それでも「自分が生きている時代になれるかは分かりませんが、前提は1兆円企業」と蓮田CEOの目線は高い。目指すは社会に欠かせないインフラだ。「ユニコーンは通過点」と言い切った。