——「短期的にはリスクに見えることは、長期的には実はリスクじゃないんですよね」レシピ動画メディア『DELISH KITCHEN』や女性向けのライフスタイル動画メディア『KALOS』を運営する株式会社エブリー(以下、エブリー)CEOの吉田氏は、未来を見据えてこう語る。IT業界の大手企業に新卒入社。スタートアップへの転職から上場を経て、起業に至った彼の裏側には、多くのチャレンジと決断が隠されている。現在、月間5億2000万回以上もの動画再生回数を誇る『DELISH KITCHEN』。乱立するメディアの波の中で強く際立つ存在であり続けられる理由とは、いったいどこにあるのだろうか。吉田氏の考えに迫った。
「チャレンジしないことはむしろリスク」と語る、吉田氏。チャレンジを戸惑う、決断できないと考える人々が多い中で、迷うことなくリスクを取れる。その考え方の根底には、どのような人生があったのか。
吉田 「僕は、学生時代に出身地の近くである名古屋の大学に通っていました。大学卒業後に、大学院まで進んでモバイル通信に関する研究をしている中で、インターネットの世界に興味が湧いたんです。自身の研究内容を突き詰め続けるよりも、研究領域の分野で今までにはない新しいサービスを生み出すことができたらおもしろいと考えて、当時IT業界の最大手であったヤフー株式会社(以下、ヤフー)にエンジニアとして新卒入社しました。働き始めてみると、サービスの質に対するこだわりの強さを非常に感じましたね。小さな修正や表記にも一切の妥協を許さない姿勢は、振り返ってみても経験してよかったと感じています」インターネットを通じてサービスが世に出ていくことへの感動を覚える一方で、大企業ならではの悩みを抱えたことも少なくはない。
吉田 「当時のヤフーは、どのサービスも基本的にはアメリカ本社を主体として動いていたので、日本独自のサービスが生まれづらい環境だったんです。それに、大手だからなかなかスピード感も生まれなくて。挑戦したいことがあっても、確認が多くて詰まるという経験を幾度もしました」
吉田 「当時のグリーは、まだ会社として完成しきっていませんでした。だからこそ、いろいろな挑戦ができる場だと踏んで転職を決めました。転職前にグリーで働いているメンバーから話を聞く機会があったのですが、そのとき彼らが語った“理想のインターネットのあり方”に対して強い共感を覚えたんです。せっかく働くなら、同じ想いを持った人と働きたいと思っていたので、彼らの言葉は転職先を決める上でとても大きかったです」
グリーのエンジニアとして入社した吉田氏は、後にソーシャルゲーム『釣り★スタ』や『探検ドリランド』を生み出し、取締役に就任した人物として知られている。
吉田 「僕がグリーに入社したのは、ちょうどモバイルが主流になりつつあるタイミングでした。当時のモバイルサービスは月額課金制のシステムが浸透していましたが、PCオンラインゲームで主流となりつつあった都度課金制のシステムをモバイルの業界に取り込むことで、世界初のモバイルソーシャルゲーム事業を立ち上げました。その後は来たるスマートフォンへの市場の変化に対応できるよう事業を立ち上げていましたね」
ガラケーからスマートフォンへの移行。市場の変化をいち早く察知した吉田氏は、競合に先んじて事業の推進を行なったという。
順調とも思えたグリーでの日々。起業を決意したわけではなく、必然的に起業を選ぶことになったと語る吉田氏の周囲では、いったいなにが起きたのだろう。
吉田 「2012年ごろ、グリーは新たな市場を開拓するために、海外への展開を行なっていました。アジアやヨーロッパを中心に展開していきましたが、組織も大きくなかなかマネジメントをする時間が取れなくて、事業の展開は想定していたスピード感では立ち上がっていきませんでした」
これらの経験から、マネジメントを課題と捉えて翌年から次世代のリーダーを育てる取り組みを開始する。その後、事業の多角化に向けて新たな挑戦を幾度となく行なってきた。
吉田 「このままだと業界全体の成長に付いていけないのではと考えて、新しくIP (*1)を使ったアニメやグッズの展開、介護施設の口コミサイト、ベビーシッターのCtoCマッチングなどを新規事業として展開していきました」
*1:Intellectual Property(知的財産)
時代の流れに対応するべく、吉田氏はスタートアップで活躍する人材を招いてはIT業界で起きている新しい変化を汲み取り続けたという。さまざまな話を聞く中で、一つの懸念が生まれていた。
吉田 「スタートアップで活躍する方々の話を聞けば聞くほど、当時のグリーでは追いついていない部分が多くあると感じました。キュレーションメディアの登場、コスト構造のあり方、コミュニケーションツールの多様化……どんな話もすごく衝撃的で。今後の事業の方向性を考え直した結果、当時から伸びを見せていた動画領域ならこれから先も大きく伸びるのではないかと思ったんです。そこで、社内で新規事業として立ち上げを提案したのですが、当時のグリーでは別の事業に注力する意思決定をしていて。動画の領域に焦点を絞った事業を展開するなら、起業しか選択肢がありませんでした」
『DELISH KITCHEN』の動画を作成する自社内スタジオ
起業を視野に入れていたのではなく、動画領域にチャレンジするのなら起業が最高かつ唯一の選択肢だったのだ。Webコンテンツの信頼性の低さがささやかれ始めていた起業当時、信頼してもらえるメディアを動画と掛け合わせてつくりたいと考えたという。
吉田 「現在は4つのメディアを運営していますが、最初に始めたのは『DELISH KITCHEN』と『KALOS』のふたつです。動画はこれからの時代、きっとテレビCMに取って代わる存在となるはずです。現在のテレビCMは、20%が飲食品、25%が化粧品などで構成されていますから、まずはそのふたつからメディアを始めて、マネタイズまで見据えた運用を行なっていこうと考えました。そして、“衣・食・住”のすべてを網羅できるメディア展開を目指しました」
大企業やスタートアップでの重役を経験してからの起業は、非常に勇気のいる決断だ。決断した事業に向けて走り抜く自身の性格を、吉田氏は以下のように語る。
吉田 「インターネットが好きだから……でしょうか。インターネットが好きだからこそ、日本全体にコンテンツを届けて素晴らしいと感じてもらえるプラットフォームを作り続けなければいけない。一種の使命感に駆られているような気がします。目先のビジネスでユーザーを集めるのではなく、長期的に続くプラットフォームをつくるためにこれまで走り続けてきました」
IT業界の最大手企業だからと選んだヤフー、未完成ならではのチャレンジができたグリー、そして現在のエブリー。吉田氏は、大手企業からスタートアップへの転職、そして起業へと至る中で、さまざまな「チャレンジ」の瞬間に直面してきた。大きな「決断」をする瞬間、彼の頭の中ではいったいどのような考えが巡っているのだろうか。
吉田 「アクセルを踏むタイミングを慎重に考えています。事業は、安定するべきものである一方で、必ずいつかアクセルを踏む瞬間が来ます。でも、踏み込む瞬間の意思決定が1日でも遅れてしまうのは、経営者としてはリスクが大きい。どのタイミングでどのジャンルに踏み込むべきなのか、常に考え続けていかなければなりません。現在までにローンチした4つのメディアも、競合の動きや世の中の流れをしっかりとインプットしながら準備を進めていきました」
事業に関することで悩み停滞するのは、むしろリスクである。その考えが根底にあるからこそ、常にデータを取り、市場を見続けることで、来たるべきタイミングで走り出すことができるのだという。
吉田 「そのかわり、人や組織のことに関してはすごく悩みますよ。企業は、戦略の部分で競合と比べて明確な差別化ができているケースはほとんどありません。なによりも一番大切なのは、組織力やオペレーショナル・エクセレンスです。エブリーでは、全業務を開示する、ランダムに選んだメンバーでご飯を食べるシャッフルランチなどを通して交流を行なったりと、組織として縦と横のつながりを強く持てるような仕組みづくりを行なっています」
チャレンジに対する姿勢が、強く明確な吉田氏。最後に、起業やスタートアップへの転職を検討している方へメッセージを伺った。
吉田 「僕は、チャレンジをしないことは衰退の始まりだと考えています。チャレンジして失敗している分には、必ず学びがあって成長もあるのですから。そう考えると、チャレンジにはリスクがありません。起業やスタートアップへの転職を通して、どんどんと新しい成長の場を生み出してください」
執筆:鈴木しの取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:矢野拓実