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がん治療に「陽子線」の選択肢を。試行錯誤の末に、ビードットメディカルが掴んだ閃き

2023-03-28
STARTUPS JOURNAL編集部
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STARTUPS JOURNAL編集部

スタートアップの技術力が、がん治療のあり方を変えようとしている。

従来のX線を用いた放射線治療よりも副作用が少なく、通院で治療できるなど利点の多い陽子線治療。3階建てビルにも匹敵する巨大な装置を導入するためのコストが障壁となり普及してこなかったが、「ビードットメディカル」(東京江戸川区)は独自技術でその壁を乗り越えようとしている。

古川卓司・代表取締役社長らが挑んだのは、装置の大幅な小型化と高性能技術との融合という難題だ。試行錯誤の末に掴んだ突然の閃きを現実のものに変え、本社のある江戸川区から世界へ、がん治療の常識を覆すつもりだ。

がんの陽子線治療とは 利点多いが普及せず

水素の原子核である「陽子」を最大で光の60%程度まで加速させて体内の腫瘍に照射し、がん細胞を死滅させる。これが放射線治療の一種である「陽子線治療」だ。

がんの三大治療法の一つとして知られる放射線療法では、X線を用いるのが一般的。X線は体内の腫瘍に届きがん細胞を死滅させるが、その過程で周囲にある正常な臓器や組織も傷つけてしまう。「がんが治ったとしても、例えば肺がんの場合には肺炎になったり、前立腺周りでは直腸に障害が出たり、と副作用が出る場合があります」と古川社長は説明する。

そこで注目されているのが陽子線だ。体表近くで最も強い線量を放出するX線と違い、陽子線には体内の特定の深さで「停止」してから最大線量を放出する特性がある。この特性を利用すれば、周りの組織に与える副作用を大幅に抑えられる。患者の身体的な負担も減るため、1日30分程度の通院治療も可能だという。長く先進医療として実施されてきたが、ここ数年で公的医療保険が適用される範囲が広がってきている。

しかし、この陽子線治療を受けられる患者はまだ一握りなのが現状だ。2023年3月時点で、日本国内にある陽子線治療施設は19箇所のみ。陽子線治療を受けた人は4,179人(2021年)と、放射線治療全体の1%程度に過ぎない。

「(陽子線治療を)選ばない理由は本来ならばありません」と古川社長。それでも広まっていかない理由は、治療装置の導入ハードルの高さにある。

従来の陽子線治療では、360°狙った角度から陽子線を照射するために、巨大な電磁石を回転させる「回転ガントリー」という装置が必要になる。重さは200トンあり、高さは3階建てビルに匹敵するおよそ12メートルに及ぶ。これを新たに病院の施設内へ導入するには、広大なスペースと頑強な建屋が必要になる。総費用は50億円を超えることもあるという。

この装置を大幅に小型化させることに成功したのがビードットメディカルだ。

「これまでは腫瘍に様々な角度から照射するために、巨大な機構を回転させる必要がありました。我々が開発した『非回転ガントリー®︎』は、陽子線そのものを磁場で曲げることで、照射角度を自在にコントロールできます」と古川社長は説明する。同社の治療装置は、従来のものと比べて重さ1/10、高さは1/3程度。導入費用も従来の半額程度の25億円前後を見込む。

「このままでは絶対無理」 舞い降りた閃き

古川社長は、旧・放射線医学総合研究所(現在の量子科学技術研究開発機構)の技術者だった。粒子線治療(陽子線治療を含む放射線治療の一種)システムの開発研究などに携わり、2017年にビードットメディカルを設立した。

研究成果をビジネスへ変えていくならば、医療機器メーカーと協業する選択肢もある。実際、古川社長にもその経験はあった。しかし、陽子線治療を普及させるためには、スタートアップ起業がベストだと考えたという。

「メーカーとの協業は一長一短です。技術者はビジネス上のリスクを負わず研究に専念できます。しかし、医療現場やマーケットが何を欲しているか、という部分に直接参画できません。医療の世界では、機器の性能や価格だけでなく、納入先の病院などへのアフターサービスが重要です。現場からの声を受け、ソフトウェアやハード面のアップデートも必要になる。しかし(現場の)先生方が有益な意見を下さっても、メーカー側の事情で反映できないこともある。本格的に陽子線治療を普及させたいのならば、自分でやるしかないと思いました」

そうして生まれたのがビードットメディカルだ。粒子線治療に関するコンサルティング事業を実施しながら装置開発を続けたが、理想とする陽子線治療装置の設計が思うように進まない時期が「1~2年続いた」(古川社長)という。

古川社長が当初取り組んでいたのは、既存の構造のままいかに小型化させるか、ということだった。「少しずつ小さくできていた」と成果を実感しつつも、病院にとって導入しやすいサイズにはならない。理想はあくまで、医療現場で使われているX線治療装置と同程度まで小型化させることだった。

ある日、これまでの路線に限界を感じたという。

「設計の試行錯誤を積み重ねていたのですが、行き止まりがいくつも見つかる。『このままやっていたら絶対無理だ、絶対普及させられないな』と思いました」

長年の探求の末、行き着いたのは越えられない壁。「もう違う方法でやるしかない」。そう覚悟を決めた直後のことだった。

「(陽子線を照射する)機械を回転させなくても、狙った場所に照射するにはこうすればいいじゃないか、みたいに思って、それをノートに書いて。突然の閃きでした。なぜ降りてきたのか私にも分かりません。前の日食べたものが良かったのか、睡眠が良かったのか…」

ふと舞い降りた発想だったが、技術者としての豊富な経験から、実現できる自信はあった。計算やシミュレーションを重ね、確信を深めていく。「アイデアを具現化させていく経験はこれまでにも何度かありました。その経験もあり、自分たちの技術力をもってすれば実現できると確信していました」と古川社長は振り返る。2019年4月にアイデアを活かした超小型装置の開発を本格始動させると、22年5月には原理実証に成功した。

陽子線治療のあり方を変えるかもしれない閃き。それは、ガラパゴスケータイ(ガラケー)の機能開発競争が、スマートフォンの登場で終止符を打たれたことに似ていると古川社長は回想する。

「ガラケーは、電池の持ちを良くしたい、10グラムでも軽い方が良い、などを各社が競っていました。そこにスマホという全く違う価値観が出てきて、世界中が拍手喝采した。陽子線治療も同じで、照射装置は大きい機械を回転させるものだ、という前提で皆が開発競争をしていました。『その考え、やめてもいけるんじゃないか』というのが閃きでした」

ビードットメディカルの超小型装置は2023年度中の実用化を目指し、薬事承認を申請している。「審査は順調に進んでいて、8割以上は終わっています。遅くとも4月中には承認が降りるのでは」と見通しについて古川社長は話す。すでに本社を置く江戸川区の江戸川病院やタイのタマサート大学が導入を発表している。

誰もが「陽子線治療」を知る時代へ

タイへの導入決定が示すように、ビードットメディカルが見据えるのはグローバル市場だ。究極的な目標は、世界中にあるX線治療装置の全てを副作用の少ない陽子線治療装置に置き換えることだという。

「X線治療装置はおよそ10年に一度買い換えられます。極論すれば、10年で全てを置き換えることも可能です。ただ、我々の製造能力や国によって保険の状況も異なることも勘案すると、30年かけて(世界の)半分くらいには広めたいと思っています」

とはいえ、まだ陽子線治療そのものが多くの患者にとって身近ではない。壮大な目標の第一歩を、地元・江戸川区から踏み出すつもりだ。

「装置を使う(病院の)先生方はもちろんですが、患者さんやご家族に陽子線治療の良さを知ってもらうことが大事です。世界数十億の人が、当たり前のように陽子線治療を知っている時代になれば良いと思っています。まずは、江戸川区の皆さんが『陽子線治療でしょ、知っていますよ』という状態にしていきたいです。江戸川の次は東京、東京の次は日本全体…という形です」

日本人の二人に一人ががんと診断される時代だ。誰もが「陽子線治療」を選択できる時代へ。「PROTON(陽子)for everyone」をミッションに掲げるビードットメディカルの理想は、着実に実現へ近づいている。

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