国内最大級の恋愛・婚活マッチングサービス「Pairs」を運営する株式会社エウレカを創業し売却した赤坂優氏。
エンジェル投資やブランドの立ち上げなどに幅広く携わっていて、スタートアップ関係者の間でも注目の存在だ。取材当時で35歳ながら、会社員、起業家、投資家と、そのキャリアは非常に幅広い。2015年には、Match.com、Tinder、Vimeoなどの有力インターネットサービスを有するアメリカInterActiveCorp(IAC)にエウレカを売却。起業家人生の中でもあらゆる現場経験を積んできた。
同時に、数々の苦悩を味わった。赤坂氏が今に至るまでには、シビアな選択を迫られる場面がいくつもあったという。そんな赤坂氏のキャリアを振り返りながら、彼の意思決定のポイントを見ていこう。
社会に出てからの2年半、赤坂氏は、いわゆる普通のサラリーマンだった。そこから、赤坂氏は起業家への道を選んだ。給与をもらう側から支払う側への転換は容易ではなく、日々の経営にもその苦悩が表れていた。
赤坂 「創業初期、共同創業者の西川順と相談して3人目のメンバーを迎え入れたんです。その方は、僕たちの前職の取引先である広告代理店で働いていました。とても優秀な営業担当だったこともあり、“創業メンバー”のような存在として一緒にエウレカを成長させたいと思ったんです」
ところが、3人目としてジョインしたメンバーのスタンスは、赤坂氏の思惑とは異なった。中小企業から、エウレカへの「転職」と捉えていたそうだ。
赤坂 「ミッションやビジョン、事業計画、採用計画など……。3人目のメンバーはあらゆることを気にかけて、僕に聞いてくれました。転職において自然なことですよね。でも僕は、何ひとつ答えられなかった。社員を率いることの責任感を知らなかったのだと思います」
1号社員にも、その後入社した2号社員にも、大した説明ができないままの経営者。言語化ができない自分に対して、むしゃくしゃした。創業初期、事業には直接関係がないように思えるオフィス空間づくりにおいて赤坂氏が特別なこだわりを見せた際も、社員たちを大きく戸惑わせてしまったという。
赤坂 「社員数から比較すると広すぎるくらいのオフィスに、作りの良い家具を揃えた空間でした。僕なりのこだわりがあったけれど、社員たちに理解してもらうのは容易ではありませんでした。『大型家具量販店で全部揃えた方がコストを抑えられるじゃないですか』といった反応でした」
赤坂氏は自分自身がまだ会社員だった頃、休日をめがけて働く先輩や上司を数多く見かけ、疑問を感じてきた。だからこそ、経営者としてスタートアップを立ち上げた当時、そんな大人たちに向けて中指を立てていくスタンスを貫いていた。そのスタンスをエウレカに反映するべく、赤坂氏は、大企業のやり方とは真逆の意思決定をすることを決めた。参考にしたのは、故スティーブ・ジョブズ氏が口にした『Why join the navy if you can be a pirate?(海軍に入るより、海賊であれ)』というフレーズだ。
赤坂 「たとえば、大企業がそれとなく家具を揃えるなら、僕らは選び抜いたこだわりの家具で統一する。多くの人がクライアントとはビジネスの範囲内でのお付き合いに限定するのをマナーとするなら、僕らはクライアントとプライベートで人と人としてのお付き合いもする」
赤坂氏の行動は型破りだった。当然、社内からは反発の声が上がる。理解を得るためには、赤坂氏自身が経営者として優秀であることが求められた。エウレカが成長するにつれて、メンバーからの信頼が得られるようになった。そして、赤坂氏自身も、経営者としての自信を徐々に得ることができた。
企業としての成長が、赤坂氏本人や共に働くメンバーにとって、欠かせない要素だった創業初期。赤坂氏は事業成長における重要な決断を迫られる。次の選択は、会社の収益の安定をどのように実現するのか、である。
赤坂 「まずは、受託開発事業や広告代理事業の案件を受注することで、キャッシュフローを安定させることを選択しました。なぜなら、僕らは一度、自社プロダクトの開発のみにリソースを集約しようとして、思うような結果を得られなかった経験があったので」
今でこそ「Pairs」事業の認知度が高いエウレカだが、創業初期の自社プロダクトはクラウドソーシングサービスだった。全リソースをその開発に投下しようと考えたものの、泡のごとく消えていくキャッシュに焦りを隠せなかった。その経験が、自社プロダクトへのフルコミットという選択を阻んだ。
赤坂 「今回はキャッシュを得ることを最優先に取り組む、と決めました。マイルストーン設定などの細かな戦術をどうするかよりも、とにかく今を生き延びなければ来年も再来年も無いぞ、と。そしてなにより潤沢なキャッシュがなければ、チャレンジしたい瞬間に事業として本気を出すことができません。そのため、創業初期は経営地盤であるキャッシュフローを安定させることに集中しました」
そうして成長した事業があれば、メンバーの士気は自ずと高まる。赤坂氏はこれを「事業成長がすべてを癒す」と表現した。どれだけ「Pairs」事業が成長しようとも、一本足打法にすることがなかったのは、足元を固めて備えることの重要性を赤坂氏がなによりも重視した故の選択だった。
2015年のM&Aによるエウレカの事業売却は、赤坂氏にとって、大きな意思決定の瞬間だった。IPO(上場)かM&A(売却)かの選択を迫られた。赤坂氏が考えた末の選択基準は、事業を継続するための覚悟があるのかどうかだ。
赤坂 「そろそろIPOかM&Aかを決めたほうが良いかもしれないと経営陣で検討を始めたのが2014年夏頃。社員数が約80名、売上が月間2億円弱のタイミングでした。当初は上場準備を始めようとしたのですが、上場後のことをイメージしたとき、もう一度立ち止まって考えてみたんです」
エウレカが上場すれば、パブリックカンパニーとして世の中に存在することになる。そうなったとき、赤坂氏は自分が、事業を引き続き熱量高く継続できるのだろうかという懸念があった。
赤坂 「事業をゼロから作ることが好きであり、僕自身の能力を最大限に発揮できる点でもあったので、エウレカが大きくなっても責任を持って続けていく覚悟が自分にあるかどうか悩みました。同時に、創業から丸5年間、とにかく走り続けてきたので、目標を見失っているような感覚もありました」
個人と会社の未来を考えると、選択すべきはIPOではないとの結論に至った。ところが、M&Aも決して楽な道ではなかった。なぜなら、エウレカが選択したのはアメリカのIACへのM&A。海外への売却事例が多くない日本では、苦労することも多かった。
赤坂 「M&Aは、言うなれば『結婚』と同義だと思っています。だから、しっかりとそのお相手である売却先を見極めなければならない。僕らが選択したIACには、彼らがエウレカを買うべき確固たる理由がありました。その理由を見つけたからこそ、アプローチをかけたんです」
IACは、世界中で利用されるマッチングサービス「Tinder」「Match.com」を運営するMatch Groupの親会社として知られる。そのほかにも動画共有サービス「Vimeo」、質問交流サイト「Ask.fm」などを買収し、グローバル市場での事業拡大を図っていた。当時、アジアでは中国へ進出していたものの、大きな芽は出ていなかった。
赤坂 「アジアに拠点を持ちたいタイミングだろうと考えて、こちらからIACに連絡を取りました。事業領域が絞られていて、オンラインデーティング業界においても世界的に一強と言える企業でした。 その上、僕らが連絡したとき、彼らは子会社であるMatch GroupがNASDAQにて上場するタイミングだったので、そのアセットを使ってP/Lを作りたい時期でもありました。そのすべてのタイミングがぴたりと重なったのが、2015年5月だったんです」
エウレカの事業売却を決断したとき、赤坂氏の中に生まれていた新たなチャレンジへの欲求。新しい事業のタネを見つけるため、2016年9月に代表を退任し取締役顧問に就任し、売却から2年半後となる2017年10月には、取締役顧問を退任した。
そして、エンジェル投資家としての活動を本格化させた。幅広い領域の多種多様な事業に投資を行うのは、自身も次の事業に向けたヒントを得るためだ。そんな赤坂氏の投資先は、約45社にのぼる。ここでの選択基準はどのようなものなのだろうか。
赤坂 「僕の投資基準は、ふたつあります。ひとつは、確実にこれから時代が訪れるであろうと感じられるマーケットや、世の中の潜在的なニーズに基づいた事業であること。 たとえば、法改正があった分野や、機械学習に関連する分野などです。時間はかかってしまうかもしれないけれど時代の変化に合わせてニーズが生まれる領域に対しては、できる限り投資しようと考えています。ただし、経営者が諦めない性格であることも条件です。せっかく時代が訪れても、経営者がそれまでに諦めてしまったら意味がないので(笑)。 もうひとつは、“ロマン案件”です」
赤坂氏は続ける。
赤坂 「実現できるのかわからなくても、僕がこんな世の中だったらいいなと思えるような事業です。最近だと『dreamstock(ドリームストック)』という、世界のプロサッカーチームからスカウトを受けられるサービスを提供する企業に出資しました」
dreamstockでは、世界中の子どもたちが自身のサッカープレイ動画をアップロードできるプラットフォームを提供している。動画を観た世界のプロサッカーチームのコーチたちは、U-12やU-15などのメンバーとして、メンバーを迎え入れることができる仕組みだ。
シンデレラボーイを生み出すかもしれない世界観に、赤坂氏は大きな期待を寄せていた。
エンジェル投資家としての活動を続ける傍で、赤坂氏は新しい実験も始めている。ストリートファッションブランド「wind and sea(ウィンダンシー)」の立ち上げだ。
個人でもサービスを生み出せる時代であることに注目し、その知見を得るためにもブランドの立ち上げに携わったという。
赤坂 「共通の知人を介して、スタイリスト、フォトグラファー、ディレクターなど幅広くプロジェクトを手掛ける熊谷隆志さんと出会いました。何度かお会いするうちに熊谷さんのストリートファッションに懸ける熱い想いが今の時代に必要とされるコンテンツ作りと強くシンクロし、同じ船に乗る決意をしました。 熊谷さんのように“自分の良いと思うもの”に夢中になれることは才能だと思っていて、その周囲にはそれを愛するコミュニティが存在します。そのコアな部分を大切にしながら、コミュニティを増大し、日本だけでなく海外でも愛されるコンテンツにすることが僕の仕事だと思っています」
個人が自由にコンテンツを生み出す今、「ルイ・ヴィトン」のような圧倒的な存在感のあるブランドは生まれにくくなった。その一方で、“バズ”を引き起こすミドルブランドが生まれる可能性は極めて高い。そして、その仕掛けを作る人でありたい。赤坂氏は、そんな構想を練っていた。
赤坂 「エウレカを去ってから約1年。まだまだ次の事業を絞りきったわけではありません。しかし、そろそろ取り組むべき課題と、その方法を見つける頃かなと考えています。もし見つかったのなら、またそれに打ち込むだけです」
執筆:鈴木しの取材・編集:BrightLogg,inc.撮影:小池大介