人生100年時代と言われ、これまでは当たり前だった、ひとつの会社に定年まで勤め上げることは現実的でなくなった。そうは言っても、今いる会社と全く異なる規模の企業に転職することは、どうしてもハードルが高くなってしまう。
大企業とスタートアップの壁はまだまだ厚く、人材の流動化を阻んでいるだけでなく、協業も容易ではないのが現状だ。
そんな現状を打破し、大企業とスタートアップのあいだでイノベーションを加速させているのが株式会社WiL(以下、WiL)だ。
WiLは、スタートアップ投資や大企業とのジョイントベンチャー立ち上げを通じて、大企業とスタートアップのあいだを文字通り“架け橋”となってつなぎ、双方の事業を促進している。
WiLを設立した共同創業者であり、ジェネラルパートナーである松本真尚(以下、松本氏)は、スタートアップと大企業両方で働き豊富な経験を持つ。そんな彼に、両者がともに価値をつくっていくオープンイノベーションの重要性や可能性について伺った。
今でこそオープンイノベーションは一般に知られるようになってきたが、松本氏はそれより遥か以前、2000年前後にオープンイノベーションの萌芽に立ち会っていた。
当時松本氏は、自ら設立した会社を単体で成長させていくことに限界を感じていた。そこでシリコンバレーのスタートアップを見習い、ヤフーへの売却に踏み切ったのだ。
松本「アメリカでは、スタートアップはM&Aも視野に入れた上でイグジットを目指します。良い意味で、大企業に吸収されているんですよ。当時のヤフーも、モバイル事業拡大のスピードをより加速していくにあたって買収に前向きでした。 互いの会社が、自分たちだけでなく外部の力とともに成長しようとしていた。当時はオープンイノベーションとは呼んでいませんでしたが、こうした環境に飛び込んだのはこの頃からですね」
ヤフーに加わってからは、スタートアップと大企業、両方の立場がわかるという経験を活かし、他社への出資やM&A、その後のPMIなどを指揮した。
松本「両方を経験した自分だからこそ、スタートアップと大企業がともに組んで成長すれば、大げさではありますが日本はもっと元気になると確信しました。 逆に言えば、そうしないと日本はグローバルで戦えない。ならば自分が、スタートアップと大企業の架け橋となろうと思い、WiLを創業しました」
そもそも、なぜ大企業にはスタートアップが、スタートアップには大企業の力が必要なのだろうか。
松本「会社というのは大きくなるにつれ、すべからく『イノベーションのジレンマ』を抱えます。いわゆる歴史ある企業だけでなく、例えばヤフーや楽天、メルカリにも起こりうること。 それは、会社としての成功体験が強くなればなるほど、過去の経験を準拠してしまうからだ。これまでの成功パターンからはずれること、過去に失敗したことは避けるようになっていく。いわゆるエクセレントカンパニーもですね。 スキーで派手に転んでしまうと、その後滑るのが怖くなりますよね。会社も同じです。『法人格』というくらいですから、会社も人格を持っている。経験から学んで賢くなる分、過去に痛い思いをしたら、怖いと思うのは当然のこと」
経験が蓄積するほど内部ではイノベーションが起きづらくなる。そのため、外部から適量の“ウイルス”を入れる必要があると松本氏は話す。
松本「大企業の“正常な細胞”では、リスクを取ってチャレンジすることは簡単ではありません。だから外部の力=“ウイルス”を適量に摂取するんですよ。そうすると抗体ができて、生き物として強くなる。 シリコンバレーの会社はつまり、意識してウイルスを取り込んでいるんです。いわば予防接種的に」
では、どんな“ウイルス”を取り入れたら良いのだろうか。
松本「どの会社にも、今ある事業を深化させていくプロセスと、新しい事業のタネを見つける探索のプロセスの両方が必要です。ですが、日本企業には圧倒的に探索の方が足りていない。オペレーションの改善は得意な企業が多いですが。 だから探索が得意な会社や人を、外から連れてくる必要があるんです。スタートアップはそもそも探索を行うことが使命ですがから、そういったスタートアップと大企業との出会いを起こりやすくするのがWiLの使命です」
大企業とスタートアップが力を合わせることの重要性を頭ではわかっていても、実際にはうまくいかないケースが多いという。WiLはそんな二社をつなぐ“橋”をかけている会社だ。
松本「大企業とスタートアップって、ふたつの相反する民族みたいなものなんですよ。話している言葉も違えば、片方はスーツ、片方はTシャツと服装のマナーも違う。あいだに通訳がいなければ互いに『なんかムカつく』ってなってしまう(笑)」
WiLがあいだに通訳として、橋として立つときに徹底していることがある。それは「真ん中に立つ」ということだ。
松本「大企業とスタートアップが互いの事業を推進するためにパートナーシップを組むわけですから、パワーバランスが取れていないと絶対にうまくいきません。特に大企業とスタートアップが組むときは、一歩間違えればスタートアップが大企業の下請けっぽくなってしまうので注意が必要です。 だからこそ、我々はフェアな立場でいないといけない。大企業につくエージェントや、スタートアップを応援するVCだけでは視点が偏ってしまうのです」
だからこそWiLは、オープンイノベーションを推進する“ラボ”であることにこだわっている。
松本「どの会社も、頭ではイノベーションの重要性がわかっているんですよ。でもいざやろうとすると『うちの労務が~』『人事が~』となって話が進まない。だからそこにWiLが入り、実証実験をともに行なっているんです。 例えば、ソニーとのジョイントベンチャー、Qrioやambieがまさにそう。社内ではなかなか挑戦しづらいことを、WiLと一緒に外に会社をつくって実験してみる。事業もそうですが、そこで人が育つことで、元の会社に新規事業のノウハウや文化をもたらせば、日本のオープンイノベーションは一気に増えていくでしょう。そのために、まずは僕らのラボで実験してみるんです」
WiLの役割は、あくまでも両社のあいだに橋を架けること。だからこそ、ある意味で理想は「WiLの役割がいらなくなって解散すること」だという。
松本「大企業とスタートアップが、自分たちで橋を架けられるようになるのが一番です。ともに歩んできたパートナーと離れるのは寂しいですが、それが実現できる環境を作ることがWiLのミッションですから」
WiLはオープンイノベーションを促進しているものの、松本氏は、日本とシリコンバレーでは文化や環境が異なるので、シリコンバレーのエコシステムと全く同じにする必要はないという。それよりも、日本ならではのエコシステムを模索していくべきだと話す。
松本「日本は、マインドさえ変われば一気にオープンイノベーションが盛んになるはずです。八百万の神というように、日本人には基本、自分と異なる存在や他者を尊ぶという文化がありますから。 今、大企業とスタートアップが手を組めないのは、橋の向こう側の人とは相容れないと“びびって”いるから。でも僕らがどんどん橋を架けていって、みんな相手のことがわかれば状況は一変するでしょう。成功うんぬんではなく、『橋の向こうは楽しいんだ』という感覚がわかることが大事です。そうすれば、すごく伸びしろがあるはずです」
日本ならではのオープンイノベーション、エコシステムが構築されれば、他国の手本にもなる可能性を秘めている。
松本「日本は良きに学ぶという文化がありますから、一個橋がかかれば、まわりでガーッと増えていくでしょう。大企業とスタートアップが手を組むエコシステムができあがれば、世界ももっと日本に学ぼうとなるはず。 自分たちの子どもや孫が大きくなったときに、可能性を期待できない国っていやですよね。だからこそ、こうして自分たちにできることをやっていくことで、世界にリスペクトされる、将来子どもたちが誇りに思う国になればいいと思います」
大企業とスタートアップのオープンイノベーションを促進するには、双方の経験を持つ人を育てることが欠かせない。だからこそ松本氏は、大企業からスタートアップへの転職を悩む必要なんてないという。
松本「みんな一生のなかで、ちょっと一年シンガポールに留学してみたり、東京から大阪に引っ越したり、そういうことって割としていると思うんですよ。仕事も一緒です。大企業からスタートアップという違う島に住んでみるような感覚で転職してみる。ダメだったら帰ってくればいい。 大企業も、スタートアップで培ったスキルや経験をいらないという会社はもはやないと思っています。だから、スタートアップで働いてみようか悩んでいる時間の方がもったいない」
大企業にとっても、自社の社員がスタートアップで経験を積んで戻ってくることはメリットとなる。
松本「今や大きい会社でも出戻りは多い。わざわざ多額のお金を払い、M&Aを繰り返してでも外部の“ウイルス”を入れようとしているくらいなのですから、社員が自分で外に出て、勉強して戻ってくるなら大企業にとってもウェルカムだし、メリットが大きいんです。 こんなメリットがあるにもかかわらず、それでもスタートアップの経験を積んだ社員はいらないという会社があれば、自分が話しに行くのでおしえてください(笑)」
執筆:菅原沙妃取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:横尾涼