サンフランシスコに本拠地を置き、日米での起業経験を持つパートナーが複数人在籍するスクラムベンチャーズ。代表の宮田拓弥氏(以下、宮田氏)はミクシィの米国法人のCEOを務めたあと、2013年にスクラムベンチャーズを設立した。現在はシリコンバレーを中心にスタートアップの最先端の情報を把握しながらスタートアップ投資を行っている。投資実績は60社を超える。スタートアップがグローバルで戦わなければいけないという論調はよく耳にするが、実際に海外で投資活動を行っている人の話を聞く機会は少ない。今回はアメリカで活躍する宮田氏に、日米のスタートアップ事情の違いや、昔と比べた日本のエコシステムの現状について話を伺った。
スタートアップ界隈で約20年活躍している宮田氏。日米の状況を知る宮田氏に、今の日本のスタートアップのエコシステムはどのように映っているのだろうか。
宮田「一言で言うなら今の日本は黄金期ですね。人材にしても、お金にしても、技術にしても、エコシステム全体を見れば、20年前とは比べ物にならないほど良くなっています。海外はさておき、日本の時間軸だけで見れば、圧倒的に起業しやすい環境になっていると思います。20年前と言えば、世の中に『スタートアップ』の言葉はあっても、今のような認知度もなく、キャリアとしても王道のものではありませんでした。しかし、今はソフトウェア関連で起業するのは当たり前で、医療やメカニカル、リアルテックの分野でも起業を考える人が増えています。つまりドメインスペシャリストがスタートアップに流れてきているので、人材のクオリティが昔とは全く違います。お金に関してもそうです。これまではスタートアップに投資するといえば、テクノロジーに関係する企業しかありませんでした。しかし、今はエネルギー業界など歴史も規模もある産業がテクノロジーに関心を示すようになってきました。スタートアップにお金を供給する企業の裾野が広がっていることを肌で感じています」
さまざまな分野の専門家がスタートアップに流入してきていると話す宮田氏。しかし、アメリカに比べれば日本のスタートアップにはPh.D.(博士の学位)が足りないという。
宮田「今私が日本で投資している会社にも、研究者が起業した会社はあります。昔は全くなかったケースなので、喜ばしいことだと思います。しかし、アメリカに比べればまだまだ少ないのが現状です。私の感覚にはなりますが、アメリカでは7割くらいのスタートアップの経営陣に研究者が名を連ねています。Ph.D.とMBAどちらかを持っている人が、経営陣に一人もいない会社は一社もないと思います。アメリカでは研究者が起業家になることが、教授になるのと同じステータスなのです。日本の起業家も昔に比べて高学歴になりましたが、もっと学位を持った人たちが起業することを期待してしまいますね」
研究者のキャリアを考えても、起業をした方がいいと宮田氏は続ける。
宮田「スタンフォードの学長が副業として起業していますが、他の研究者も副業をした方がいいと思いますね。教授の仕事は大変だから、専業でやるべきだという意見もありますが、起業で得た経験は必ず研究に活きるはずです。ソフトウェアの業界では、教授が副業するケースも増えてきましたが、他の業界でももっと増えればいいですね」
では日本でもPh.D.が経営陣に加わればいいのだろうか。
宮田「Ph.D.といっても日本とアメリカでは、違うことを知っておかねなければなりません。アメリカではPh.D.でもMBAも持っている人も多いです。そのため、専門分野も経営も分かっているのです。日本ではCTOでも経営については喋れない方もいますよね。しかし、CTOだからコーディングできればいいというのは間違いです。Ph.D.でそのままCEOができるくらいのレベルの人が増えなければいけません。私が投資している、アメリカで空飛ぶ車を作っている会社の経営者も、Ph.D.をとって、卒業後は金融向けのシステムを作っていました。金融業界の発想でCEOをしながらも、根は研究者なのでテクノロジーにも経営にも明るいのです。そういう人がいるかどうかが、アメリカでGAFAが生まれて日本では生まれなかった理由だと思います」
逆にこれからの日本にどのようなポテンシャルを感じているのだろうか。
宮田「ここ30年で、日本がアメリカを始めとした海外の国に負けた最大の理由はソフトウェアです。ソフトウェアはサービスなので、言語の壁があります。そのため使用人口の多い英語を使うアメリカが勝ちましたし、鎖国状態の中国は特殊なマーケットを作り、英語が得意なインドは成長を遂げています。その間、日本人は国内での戦いを繰り広げていました。Windows95が発売された時も、実は日本も同じフィールドにいましたが、日本人の日本人による日本人のためのサービスだったため世界では勝てなかったのです。しかし、これからはソフトウェアからプロダクトの時代になっていきます。バイオにしてもマテリアルにしても、サービスではなく製品での勝負になっていきます。プロダクトの勝負では日本は強いです。昔日本が勝っていた時代とはプロダクトが違いますが、サイエンスとテクノロジーには言語の壁があまりないので、十分に勝機はあります」
では、これから日本が勝つには何をしていかなければいけないのだろうか。
宮田「まずは戦い方を変えなければいけませんね。私が子供の頃というのは、日本は世界でGDP2位の国で、王道の戦い方をしていれば勝てていました。しかし、これからの30年は二流の国としての戦いです。GDPは落ちているので、全ての分野で勝つのは無理です。そのため、どの分野で戦うのか決めてかからなければいけません。もしも私が経済産業大臣なら、5つほど戦う分野を決めて規制緩和するといった施策をとるでしょうね。例えばここ10年を見れば日本の生命科学系はとても進化して、ノーベル賞もとっています。そういう分野を成長産業と絞り込んで、集中して戦うのです。どちらにしてもソフトウェアではグローバルでは勝てないので、勝てる分野を見つける必要があります」
これから日本が勝つには産業を絞って戦わなければいけないという宮田氏。スクラムベンチャーズ、もしくは宮田氏としてはどのような分野に注目しているのだろうか。
宮田「これまでの話と全く変わりますが、私としてはスポーツ産業に注目しています。スポーツのイベントというのは10年単位で決まります。そして日本は今年ラグビーのW杯があり、来年は東京五輪があり、再来年にはワールドマスターズという高齢者の世界大会があり、その翌年には大阪万博があります。これからの10年を見ると日本はスポーツ産業が強いのです。そしてグローバルで見てもスポーツ産業は成長産業です。アメリカでは50兆円もの市場があり、日本は現在5兆円のところを、これから15兆円にしようと国は動いています。それもテクノロジーを用いて成長させようとしているのです」
これから日本でスポーツの祭典が毎年のようにあるのは分かる。しかし、テクノロジーを使ってスポーツビジネスで勝つとはどういうことだろうか。
宮田「イメージしやすいのはエンタメ産業です。エンタメ産業は昔、CD販売などのパッケージ売りが主流でした。しかし、CDの売上が落ちている一方で伸びているのがライブでの売上です。それも以前は5,000円のチケットを買って終わりだったのが、握手券を買ってもらったり、グッズを買ってもらったりするなど、マネタイズポイントを増やしています。スポーツも昔はスタジアムにいってチケットを買って、ホットドッグを食べて終わりでした。しかし、今はテクノロジーを使ってエンゲージを広げられるようになったのです。スポーツでの成功事例で言えばDeNAベイスターズ。弊社の春田がベイスターズのオーナーとして、街全体を巻き込んで産業化しました。ただ彼がやったのはシンプルにユーザーのリテンションを高めて、一人あたりの売上を上げるというネットビジネスの基本です。これまでのスポーツ産業というのは、ビジネスをしている人がいませんでした。そこにビジネスを考える人が参入して、今は少しずつ変わってきています」
スポーツ産業に力を入れていれば、日本はこれから世界と戦っていけるのだろうか。
宮田「日本がこれから10年20年と戦う方法を考えるのであれば、アジアのリーダーにならなければいけません。アメリカに勝つのは無理ですし、中国は独自の道を進んでいます。そのような状況で日本がもう一段スケールアップするには、東南アジアと組んで、どのようにレバレッジをかけていくかにかかっています。特にインドネシアやベトナム、タイのあたりではエンターテイメント・スポーツ業界が非常に伸びています。そのような東南アジアの国々と組みながら、どのようにマネタイズしていくかが今後の日本の課題になっていくでしょう。」
スポーツ業界以外にも、どんな分野に注目しているか尋ねると、意外な答えが返ってきた。
宮田「他に注目しているのは小売、ショッピングの分野ですね。ここ7年ファンドを運営していて、小売業界はとても大きくなっています。特に投資して成功しているのは女性下着、化粧品、産直野菜などの分野です。投資先企業は創業して3~4年で売上100~200億円を達成しています。これまでの小売業界というのは、メーカーが製品を作ってブランド化して、小売店に販売してもらうというモデルでした。しかし今はダイレクトチャネルが主流です。2013年頃からD2Cモデルのスタートアップに投資して、どれも成功しています。人の買い物の仕方は、リアルからオンラインに変わっていますが、全体の購入量は増えています。今は15%がオンラインで購入されていますが、残りの85%もオンラインに置き換わっていくため、大きなチャンスが眠っているのです。また小売ビジネスはディープテックが必要ないこともチャンスだと感じている理由の一つです。特に私たちは小売ビジネスで勝つための黄金率を持っています。私たちの経験からすると次の条件を満たす市場はとても魅力です。『市場が大きい』『既存産業のドミナントプレーヤーがいる』ことです」
具体的な事例についても話を伺った。
宮田「私達が投資している企業に『サードラブ』という女性下着のスタートアップがあります。アメリカの女性下着業界はビクトリアズ・シークレットが50%以上のシェアを持っています。アメリカに行けば分かりますが、どの空港に行ってもビクトリアズ・シークレットの広告を見るものです。つまり製品原価に対して、強烈なプロモーション代を払っているんですね。そのため、ビクトリアズ・シークレットの下着は、とても高いわけではないですが、価格の割には満足度が低いのです。それに対してサードラブは、製品原価を高めにして高品質な商品を作っています。そしてダイレクトチャネルで売っているので、マーケティングにかかるコストはほとんどありません。つまりいい商品が安く買えます。さらに言えば、スタートアップは売上200億円をあげれば優秀だといわれる世界です。売上1兆円以上の大企業のシェアを1~2%奪うだけでスタートアップとしては成功なのです。そしてもっと面白いのが、ナイキのここ5年のビジネスモデルのシフトの仕方です。ナイキも以前は小売店に商品を卸して売っていました。しかし、今は小売店から商品を引き上げて、ナイキの直営店舗と公式オンラインストアでの販売を強化しています。昔のような流通経路に頼っていたら、業界ナンバー1でも負けることに、ナンバー1が気づいたのです。これからスタートアップだけでなく、大企業もダイレクトチャネルにシフトしていくでしょう」
これからビジネスのあり方も大きく変わっていく中で、起業家に求められる素養とはどのようなものだろうか。
宮田「起業家のメンタリティですね。私がアメリカに行って一番驚いたことが、アメリカスタートアップの株主の数の多さです。日本は信頼の文化なので、知っている人しか株主にしませんし、株主がたくさんいることをよしとしません。しかし、アメリカは株主の中に、経営者も知らない人の名前が並んでいることも珍しくありません。それは日本ではありえないことです。そして更に驚いたのが、投資した企業が倒産した時です。日本であれば株主は神様なので、会社が潰れたら報告にいって丁寧に対応するのが一般的。しかし、アメリカでは違います。投資先の会社が潰れた後に経営者に会いに行って、悪びれることなく「次はこんなビジネスやるけど投資するか」と言われたのです。アメリカで投資を始めた当初は、その態度に驚かされましたね。その態度がいいか悪いかはさておいて、そのようなメンタリティやエネルギーには日本人も学ぶことがあると思います。投資家たちも、ベンチャー投資はリスクマネーであることを理解しているので、誰も気にしていません。礼儀を欠けば日本ではビジネスができませんが、過ぎたことを顧みずに次のチャレンジをする姿勢は日本の起業家にも大切ですね」
アメリカでは株主がたくさんいることで、経営への影響はないのだろうか。
宮田「株主がたくさんいると大変に思うかもしれません。しかし、株主の中にはソーシャルメディアの専門家やブランディングの専門家がいたりと、アドバイザリーだけですごいチームが作れるのです。日本ではエンジェル投資というと成功した人が行うイメージがありますが、アメリカではエンジェル投資は一般的で普通の人が行います。そのため、エンジェルのバックグラウンドも様々です。大学の教授もいれば、医者もいますし、スポーツ選手もいます。日本には年収3,000万円でもエンジェル投資をしない人が大勢います。もしそういう方が投資をするようになったら、日本のスタートアップシーンも大きく変わると思いますね」
多くの人が一般的にエンジェル投資を行うようになっていく場合、VCに求められることとはなんなのだろうか。
宮田「VCも副業化する必要があると思っています。日本のVCは金融機関的で、お金を出して終わりになっている部分もあります。アメリカだと本質的に起業家がヒーローだという意識があるので、VCはあくまでサポート役です。そして、さまざまなナレッジを組み合わせてスタートアップをサポートしているのです。日本も起業家が会社を作ってVCがお金を出せばいい、という時代は終わりました。これからはキャピタリストも副業的に様々なスキルとナレッジを持って、スタートアップをマーケティングしていかなければなりません。これはキャピタリストだけの話ではなく、エコシステム全体がそうあるべきだと思っています。弁護士や教授だって、自分の専門分野の知識だけでなく、ファイナンスやマーケティングの視点を持たなければいけなくなっていくと思います。今の日本は自己紹介をするときに『〇〇会社で◯◯をしている宮田です』と言いますが、一言で自己紹介できる人間はこれからの時代は価値がなくなっていきます。一言では語れないマルチキャリアを持っていることがこれからの時代で求められることだと思いますね。例えば今のアドビの社長ってメジャーリーグの元ピッチャーです。メジャーリーグを引退して、大学院で勉強し直して今アドビの社長をやっています。そういうセカンドキャリアって面白いですよね。みんながフリーランス的に働いて自分ブランドで生きていくことが大事ですし、そういう生き方を社会が許容できるようになればいいと思います」
日本のスタートアップは今が黄金期だとはいえ、まだまだ良くなる余地があると宮田氏はいう。そして、そのために日本人一人ひとりの意識の変革が必要なのかもしれない。一度は日本に悲観的になってアメリカに渡った宮田氏は言うが、時間はかかっても日本も変わってきていると今は感じるようだ。アメリカ的な考えに染まる必要はないが、自分の名前で仕事をする生き方は、これからの時代に必要になっていくだろう。
執筆:鈴木光平編集:Brightlogg,inc.撮影:高澤啓資