起業は必ずしもひとりでするものではない。信頼できる仲間と出会えたからこそ、成功への道筋が見えることもある。株式会社プレイドの共同創業者、倉橋健太氏と柴山直樹氏の場合がまさにそうだった。
プレイドが提供しているのは、さまざまなデータを人として解釈することで、顧客満足度を高める“CX(顧客体験)”のプラットフォーム「KARTE」。リリース以来、順調に導入企業を増やし、リアルタイム解析を基盤として拡張機能も続々と開発されているこのプロダクトこそ、まったく異なる道を歩んできた倉橋氏と柴山氏の出会いがなければ、生み出されなかったものだという。
CEOの倉橋氏は、新卒で楽天に入社している。しかし、大学生の頃からすでに「漠然と起業してみたいという気持ちがあった」という。
倉橋「親が自営業だったので、自分で意思決定をして働くロールモデルが身近にあったんです。それから、ITベンチャーが活気づいていた時期だったことも、起業を意識するきっかけになったと思います。単純にカッコいいなと憧れていましたから」
倉橋氏が就活をした2000年代前半は、楽天やサイバーエージェントなど、現在では日本を代表する大企業となったITベンチャーの成長期と一致する。しかし、当時倉橋氏は関西に住んでいたため、その存在は決して身近なものではなかった。実際、楽天の存在を知ったのは「ヴィッセル神戸のユニフォームにロゴが載っていたから」。
入社を決めた理由は何だったのか。
倉橋「人が魅力的だったからです。選考の過程で、新入社員から社長までいろいろな人に会わせてもらったんですが、こんなに人がいきいき働いている会社はほかにはないだろうと思いました。それから、多岐にわたる事業を手がけていたので、将来の可能性を見つけやすいんじゃないかと考えたことも大きかったです」
一方その頃、CTOの柴山氏は大学で「脳をつくる研究」に没頭していた。卒業後は、そのまま大学院に進学。研究者としての道をスタートさせた。神経科学、ロボティクス、機械学習と、さまざまな分野の研究に従事していた柴山氏。しかしいつの間にか「起業」という2文字が、頭の中でどんどん大きくなっていったという。
柴山「僕が研究していた分野で扱うデータは、かなり地味なものが多いんです。でもインターネットにはニッチで複雑度が高いデータが溢れている。それをどうやって活用していくか考えることに、面白みを感じました。実際に自分でサービスを作って提供したこともあります。ずっと目指していた研究者の道から少しずつはずれていくなかで、それと見合う価値を生み出すには、起業するくらいしかないんじゃないかと考えるようになったんです」
いつか起業する――。同じ想いを胸にしながら、ECサイトのマーケティングを行うビジネスマンと、神経科学や機械学習の研究者という、まったく異なる道を歩いていた2人。その人生が初めて交差したのは2012年8月のことだった。
その頃、倉橋氏はすでに楽天を退社し、起業家としての一歩を踏み出していた。
倉橋「楽天ではいろいろなことを経験して成長できました。でも、できることが増え、環境に慣れるということは、同時に甘えられる環境にもなりうるということ。このままでは初心を忘れてしまうと危機感を感じ、27歳のときに起業を決意しました。チャレンジをするときは1番難しい選択をするべきだと思っているので、ほかの選択肢はなかったですね」
一方、柴山氏も起業への道筋を意識して大学院を休学。ITベンチャーでエンジニアとして働いていた。新規事業開発に関わらせてもらうかたわら、伸びているスタートアップの経営について一定触れることができた。
柴山氏はある日、「優秀なエンジニアを探している起業家がいる」と会社の上司に声をかけられた。新大久保のタイ料理屋まで連れられて行くと、そこに待っていたのが倉橋氏だった。
柴山「初めて話したとき、この人とは絶対に仲良くなれると思いました。インターネットを“土地”として捉える感覚がとても似ていて。いろいろな海外のサービスについてどう思うか話し合って、すごく盛り上がった記憶があります」
そのとき2人はお互い、ともに起業することを意識し始めたという。
柴山「起業したいと思いながらも、正直なところ経営は自分のテリトリーではないと思っていました。一方倉橋には、どこか人を惹き付ける魅力がある。しかも同じようなレベルで語り合える相手だったので、これは一緒にやるしかないと感じました」
倉橋「柴山と出会ったタイミングで、そのときやっていた事業はすぐに辞めたんです。次に進めなくなることが1番怖い。損切りするなら早いほうがいいですから」
その後2人は、週に何度かファミレスに集まって、ドリンクバーで粘りながら片手に議論を交わした。お互いのできることとやりたいことをディスカッションし、手を動かし続けた結果、少しずつ自分たちが取り組むべき事業の輪郭がつかめてきた。
柴山「海外の新しいサービスを題材にして、今後どんな世界が広がっていくのか、2人で夜通し話し合っていました。その中で“データと人”という軸が見えてきて、自分たちの進むべき方向が見えてきたんです。あるとき倉橋が短縮URLサービスの話を持ち出して、そこからリンクの画期的な使い道ってなんだろうって議論になったのが、1番面白かった。その日、もう大学院は辞めようと決意しました」
そして、半年間にわたるディスカッションとサービス案に対するスクラップ&ビルドを繰り返した後、行き着いたのが「CX Platform」というサービスだった。今後インターネットの世界では、顧客満足度を高めるためのコミュニケーションが課題となるだろうと予見しての選択。しかし2人の中ではすでに、もっと大きな世界観ができあがっていたという。
倉橋「プラットフォームという形をとりつつも、データも人もナレッジも人も自動的に集約されるようなサービスにしたいとは考えていました。いろいろな企業のハブとなって、外側に経済圏を作っていくようなイメージです」
世界観から事業を創るーー。倉橋氏はそれは初めての経験だったと振り返る。
倉橋「僕はそれまで、起業する事業もタイミングも、自分の都合だけで決めていました。でも柴山と知り合ってからは、意思決定がディスカッションベースになった。だからこそ、世の中をどう変えていきたいのかという世界観から、事業の輪郭をかたどっていくことができたのだと思います」
ついにプレイドを創業した2人。しかし、すぐに大きな壁にぶち当たる。資金調達のため、VCやエンジェル投資家に営業をかけたが、プロダクトはローンチ前であり、1円の売上もなかった。それなのに提示していたのはかなりのハイバリュエーション。
当時の常識からすると、かなり強気な資本政策だった。
倉橋「僕たちが作ろうとしているプロダクトは、ちゃんと時間をかけて開発するべきものだと信じていたんです。不必要なプレッシャーをかけずに、正しいアウトプットを出すことに価値があるはずだと。そのためにもある程度バッファを設けておきたかった。それに、他社と同じことをしても、同じような結果しか出せないですから」
柴山「まだクライアントが自走して使ってくれる状態ではなく、自分達で(クライアントのアカウントを)運用していましたが、いけるという確信があった。チームメンバーの経歴や構成含めて、投資家目線で考えても張るべきだと思っていたので、強気で交渉してましたね」
2人で営業をかけ続けた結果、2014年5月に1.5億円の資金調達に成功。その後「KARTE」をリリースしたのは、それから1年近く経った2015年3月のことだった。実は、プロダクトの開発に際しても、2人の強気さを象徴するようなエピソードがある。
柴山「解析エンジンを自社で開発するとリアルタイム性が実現する。だけど、それにはものすごくコストがかかるし、メンテナンスや運用も難しくなる。それを倉橋に相談したら『早いほうがよくない?』と。それを聞いたとき、なるほど、たしかに! と思って解析エンジンを自社で作り始めたんですよ」
倉橋「2人でディスカッションを重ねてきた分、自信があったんですよ。だからこそ、難しいけれど面白そうな方へ舵を切ることができたんだと思います」
いつか起業するという想いを実現し、順調に事業を拡大している2人。その根幹となっているのは、半年間に及ぶディスカッションとスクラップ&ビルドにあるのだろう。そんな2人が、起業や転職を考えている人に向けて送るメッセージとは。
柴山「考えて考えて考え抜いたうえで、自信が持てる事業であれば、ひるまずに挑戦してみるべきだと思います。とりあえず1年間、死ぬ気で考えてみてください。そこに、信頼できる仲間が集まれば、怖いものはないのではないでしょうか」
倉橋「起業は気軽にするものではないですが、夢があるなら早く行動したほうがいい。もれなく失敗すると思いますが、だからこそ早めに動くべき。一方で、スタートアップやベンチャーへの転職は、失うものは何もありません。むしろ得るものしかないので、1日も早く飛び込んできてください」
執筆:近藤世菜 取材・編集:Brightlogg,inc. 撮影:小池大介