勤めている会社を辞めれば、サラリーマンでなくなれば、自由になれる。やりたいことができる。そうした話はメディアで取り上げられたり、注目を集めることが多いのではないだろうか。そうはいっても、独立してうまくいき、また生計を立てられたとしても、誰もが本当にやりたいことができるとは限らない。それは、一見好きなことを仕事にできている起業家も同じだ。サラリーマンを経て独立し、現在はエンジニア以外でも使える人工知能のプラットフォームを構築している、ギリア株式会社の代表取締役社長・清水亮(以下、清水氏)も、本当にやりたかったAIに携われるまでは紆余曲折があったという。「やりたいことができる起業」はどうすればできたのか。そう問いかけられた清水氏からまず返ってきたのは、意外にも「サラリーマン時代の大切さ」だった。
清水氏が会社を立ち上げたきっかけは、友人からの誘いだったという。しかしなぜそもそも、独立を考えたのだろうか。
清水「勤めていた会社がエンタメに特化していくことになり、ここではやりたいことはできないなと思ったのがきっかけです。 もうひとつリアルな話としては、給料が上がらなくなったことですかね。そのときすでにけっこうもらっていたので、転職しても上がらないし、それなら自分で会社つくるしかないじゃんっていう事情がありました」
独立したてというのは、得てして厳しいというイメージがつきまとうが、そんな中、清水氏は当時の状況をラッキーだったと振り返る。
清水「そもそも会社をつくろうにも、その資本金すら自分で用意できなかったんですが、僕の場合は知り合いから、『前払いで払うからその分仕事してよ』って言われて。 すごく恵まれた状況だなと思いつつ、一方でそれは、自分がサラリーマン時代に仕事を頑張ったからでもあると思ったんです」
人が独立するとき、周囲の反応はふたつしかないという。ひとつは『頑張ってね』というもので、もうひとつが『仕事頼んでもいい?』という依頼だ。清水氏は、独立当初がうまくいくかは、サラリーマン時代に信頼を積み重ることで、どれだけ自分がふたつ目の反応をしてもらえるかに尽きると話す。
清水「仕事を頼んでもらうって、サラリーマン時代の自分の仕事や人柄を評価してもらわないとできないですよね。 僕は人脈自体を意識していたわけではないですが、自分がどんな仕事をして周りに認めてもうのかについてはかなり意識していました。 あと、当時ケータイ業界は狭かったので、他の会社が何をやっているかは常に意識していて。だから、ライバル会社には積極的に挨拶に行っていましたね。 結果として、そのときの仲間やライバルたちが、独立したときに仕事を依頼してきてくれた。だから、独立するときの不安はありませんでした」
不安がなかったとはいっても、もちろん独立後の困難はあった。それは、やりたくないことで儲けなければいけなかったことだ。
清水「仕事自体にはそれほど困らなかったのですが、小さい会社なんでやっぱり仕事は選べなくて。ソーシャルゲームとか、そのときのブームに乗って仕事しないといけないときがあったのがつらかったですね。言っても、100人くらいの人間を食わせないといけなかったから。 でも、やりたいことではないことでお金を儲けても、『俺、何やってるんだろう』という思いがずっと残ってて。 自分自身がゲーム好きじゃないから、『社長、このゲームでいきたんですが』と相談されても、良し悪しがわからなかったんですよね。そんなものを、自分が判断している状態ってどうなのかなという悩みはずっとありました」
清水氏は結局、社内のゲーム部門を分社化するという決断を下した。だがそれはリストラをするということでもあり、そうした経営判断にあたっては精神的にもきつい時期が続いたという。そんな時期から抜け出せたのは、株主でもあったある投資家からの言葉だった。
清水「『現金がまだある状態で、健全な解雇ができるから、この状態を楽しむしかない』って株主の投資家から言われたんです。その投資家の方は、自分よりももっと多くのお金を投資してくれていたので、リスクも大きかった。でもそんな状況の人に『楽しんで』って言われて。 もちろんそう言われて『はい、楽しみます』なんてなれるわけないんだけれど、そういう考えもあるんだなって知れて、ふっきれたというか。 それで分社化したあとは、心にもないことをやって儲けるのはやめようと、迷いがなくなりました」
迷いがなくなった清水氏は、今度こそ子どもの頃から夢見ていた人工知能の世界へと飛び込んだ。
清水「子どもの頃見た『スター・ウォーズ』が大好きで。主人公と最終的に強い絆で結ばれるロボット・R2D2との関係にすごく憧れて、そんなロボットをつくりたいと思っていました。 今でこそ人工知能って着目されていますが、当時(2014年)はまだ夢物語だと思われていたんですよ。話に行っても、誰も相手にしてくれないというか。 でもビジネス界より一足早く、学会でディープラーニングが着目され始めたときに、これはおもしろいって直観があって。当時、まだ誰もそれでお金を儲けたりなんてしていないのに、僕は迷わずその直観に従いました」
そこで、新たな技術をビジネス化するにあたって目をつけたのが、「技術を極めて売る」ことではなく、「高度な技術を汎用化する」ことだった。
清水「僕はマイクロソフトで働いていたことがあるんですが、なんでもっと良い性能のOSが無料であるのに、うちは儲かっているんだろうっていう根本的な疑問を抱いていたんですよね。 それで気づいたのが、実はOSが持っている価値はゼロだったということ。そうじゃなくて、本当に価値があるのは『ターンキー』の方だったんです」
「ターンキー」は、文字どおり鍵を回せばシステムが使えるようになる状態のこと。私たちが普段使っているパソコンやスマホも、電源を入れれば使える。その状態のことを指していた。
清水「無料で使えるOSって、自分でキーボードどれにするか決めて、マウスも用意して、でもそれがなかなか動かなくって、ということが起こる。 だからマイクロソフトみたいな、電源を入れれば使えるというものが売れる。僕は、それをよりニッチな深層学習の領域でできないかを考えました」
こうした導入が容易な、セットアップが完了しすぐに使用を開始できる深層学習のマシーンをつくったことで、業界内では日本で一番売れている製品となった。名の通った研究所などのほとんどが入れているほどだという。そうして売上が伸び、きちんと事業化する段階で、UEIとソニーコンピュータサイエンス研究所、そしてベンチャーキャピタルWiLで設立した合弁会社、ギリアへと事業を移すことになった。今後はより一層先の世界を目指し、誰でも人工知能が使えるよう取り組んでいる。
清水「僕が目指す誰でもAIが使える世界というのは、赤ん坊も大阪のおばちゃんもAIが使えるというより、使っていることも意識しない世界です。それをどうすれば実現できるのか、それをこれからやっていかないといけません。 AIには3段階あって、ひとつ目が、今ある機械がAIで賢くなるというもの。自動運転とかお助けロボットなど、今私たちがAIと聞いて思い浮かべるものです。その次が大学の研究機関や病院、銀行など専門領域で用いられるもの。 そして最後が、誰でも持ち運べて、誰でも使えるAIです。身につけるだけでIQ200になるみたいな、そうした今は想像し難い世界が、僕らが目指しているところです。 かつては、今の電卓のような単純な計算がかろうじてできる大きなコンピュータが、今や誰でも使えて持ち運べるスマホまで進化してきたように、AIもそうした変遷を辿ると思います。まずは今後3〜4年で、ハード機器のようなもので、プログラマーでなくても誰でも使えるAIシステムを作っていくのが我々のミッションです」
サラリーマン時代、ゲームをつくっていた起業時代を経て、やっと念願のAIを開発している清水氏は、起業したい人に向けて「とにかく起業してみろ」とは言わない。むしろ、そこに至るまでの蓄積を重視してほしいと話す。
清水「話は少し飛びますが、38〜9歳の人に会うと、40歳になるのがすごく怖いって言われるんですよ。そういう自分も、40になっても半年くらい認めなかったんですけどね(笑)。 でも40を過ぎて思うのが、年齢を経ないとやらせてもらえない仕事があるということ。自分でいうと、政府の委員とか大学の教員とかです。とはいえ、この歳になってそうした仕事をするためには、そこに至るまでの20〜30代での蓄積が大切です。 冒頭で述べましたが、起業したい気持ちがあるなら、それまでのサラリーマン時代での頑張りが欠かせません。また、勤めている会社から自由になったところで、お金の心配があるうちはなかなかやりたいことができないのが実状です。 起業すること自体を目標とするのではなく、どうしたら起業してやりたいことができるのかを考えて動いてみてください」
執筆:菅原沙妃取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:小池大介