数あるフォーマットの書類から、必要な情報のみを抽出するサービス「Flax Scanner」。人工知能の知識を用いて生まれた本サービスは、学生時代「未踏ソフトウェア創造事業」にて二度の採択を経験した女性起業家が生み出している。株式会社シナモン(以下、シナモン)代表取締役の平野氏。これまでに2度の事業失敗を経験し、人工知能を駆使したサービスで爆発的人気を獲得した。今回は、平野氏のこれまでと意思決定の核心をインタビューを通して紐解いていく。
今となっては、シリアルアントレプレナーとしての地位を確立した平野氏。しかし、学生時代はまったく異なった職に就くことを希望していたと語る。
平野 「高校生のときから、パイロットになりたかったんです。航空大学校に行こうとしていたくらい。でも、パイロットになるために必要な要素だった身長が規定値に届かなくて。それならと、飛行機やロケットを作る仕事に携わりたいと考えるようになりました」
乗れないなら、せめて作り手として。機械工学と情報工学を専攻し、作り手としての道を歩もうとしていた。「高校生の頃からネット中毒だったんです」と語る平野氏が、デジタルネイティブ世代としてインターネットの世界に入り込むのに、そう時間はかからなかった。機械・情報工学専攻として知識を身に付けつつ、傍らではWebと生きる女性へと変化していたという。
平野 「大学3年生のとき、GREEやmixiが世間で注目を集め始めました。わたしもサービスを触った瞬間『これは人の生活を変えるな』と感じたんです。その後、大学4年生でSNS向けのマーケティングエンジンを制作して『未踏ソフトウェア創造事業』に応募しました」
「未踏ソフトウェア創造事業」への参加によって、自身も起業のイメージを強く抱いたという平野氏。大学4年生、初の未踏参加でプロジェクトの採択を経験した。
大学院に進学後、「未踏ソフトウェア創造事業」に二度目の挑戦をした平野氏。一度目よりも価値あるビジネスに挑戦したかったと語り、採択までの道のりが難関として知られる未踏プロジェクトで実に2度の採択を経験している。
平野 「一度目は、当時のco-founderと一緒にプロジェクトを立ち上げたんですけれど、二度目は完全に資金調達の気持ちで応募していて。わたしとco-founderはそれぞれで別のプロジェクトとして応募して、ふたつが採択されれば二倍の予算が付くんです。結果、どちらも採択されました」
無事それぞれ採択、資金調達を経験して起業。株式会社ネイキッドテクノロジー(以下、ネイキッドテクノロジー)を立ち上げた。起業に必要だとよく聞く「ヒト」「モノ」「カネ」が揃ったから……と、インターネットを介したレコメンドエンジンや人工知能、ディープラーニングなどの開発を行なって事業を開始したという。しかし、事業の雲行きは怪しかった。
平野 「当時人工知能は、亜流中の亜流のビジネスだったので全然売れなかったです。サービス自体には自信があったんですけれど、理解されなくて。GREEやmixiにも足を運びましたが、まったく相手にされませんでした」
後に、ネイキッドテクノロジーはmixiによって買収された企業だ。しかし、それはあくまで「後」の話。設立当時には、ほとんど見向きもされなかった。
平野 「mixiから声をかけてもらったのは、設立から4〜5年後、シリーズBの資金調達の準備中でした。なかなか売れない時期を過ごして受託案件で食いつないでいたときに『ぜひ』と」
メンバー含めて企業ごと、mixiにジョインした。mixi内ではさらなる新規事業の立ち上げに取り組んでいたが、大企業ならではの壁も感じていた。
平野 「承認スピードがゆっくりなんです。わたし自身、ゆくゆくはグローバル展開のできる企業にしたいという思いがあったのですが、当時のmixiのサービスは国内向け。やりたいことをすぐにできる環境ではなかったので、もう一度飛び出すことにしました」
これが、Cinnamonの前身となる、Spicy Cinnamon Pte. Ltd.(以下、Spicy Cinnamon)の登場の経緯だった。
2012年に独立したSpicy Cinnamonでは、現在の「Google フォト」に類似するサービス「Seconds」をベトナムで立ち上げた。
平野 「2012年はスマートフォンの普及とともに『LINE』が浸透しつつある頃でした。スマートフォンの登場によって写真撮影の障壁はきっと下がるだろうし、『LINE』の普及によって写真共有の文化はもっと広まる。そう考えた上で生み出したサービスです」
決して人気のないサービスではなかったが、爆発的人気は獲得できないことが大きな悩みだった。
平野 「アジアを拠点にビジネスを拡大……と思っていたのですが、思うようには行かなくて。資金も底を尽き始めていたので、一旦日本に帰国してしばらく受託開発のセールスをしていました。そんなとき、ふと思い出したんです。昔、人工知能やディープラーニングに携わっていたことを。波がきている今ならうまくいくような気がすると考えて、受託開発の内容を一気に人工知能関連に切り替えました」
自身の持ち味を最大に活かした人工知能に関する受託開発は概ね順調。そして、受託案件をこなしていた矢先に見えてきた事業内容こそ、現在シナモンが主力事業としているサービス「Flax Scanner」だった。
平野 「さまざまな会社を見ていると、みんなとある悩みを抱えていることに気が付いたんです。それが『非定形フォーマットの資料の場合、必要な情報を読み解くためのツールが無いこと』でした」
日本国内である程度フォーマットが固まっている定形フォーマットの書類であれば、記載データを吸い取ってデータとして落とし込むことは決して難しい技術ではなくなっている。しかし、履歴書や職務経歴書、住民票などのようにさまざまなフォーマットのある書類のデータは、当時の日本では自動でのデータ吸い上げができなかった。平野氏が目を付けた課題はここにあった。
平野 「ネイキッドテクノロジーでもシナモンでも失敗を経験しています。それでも、わたしは必ず社会にインパクトを残すサービスやプロダクトの開発に関わりたかったんです。それを追い求め続けたからこそ、今があるんです」
大きな成功を経験した起業家の多くは、今だからこそ笑える苦労を積み重ねてきている。平野氏にとって、起業家としてもっとも苦しかった時期はいつなのだろうか。平野氏の回答はこうだ。
平野 「今、起業家を12年間続けていますが、これまでずっともがき苦しんでいると思っています。『Flax Scanner』が、やっとプロダクトマーケットフィットしている実感はありますが、それまではマーケットのニーズが掴めなくて。“そこそこ良いところまではいっているけれどあと一歩”の状態が長く続いたのは、とても苦しかったですね」
12年という長い月日。すべての人が、12年の歳月を目の前にして「続ける」選択肢を選べるかどうかは定かではない。それでも平野氏は、諦めることを知らなかった。
平野 「わたし、社会人1年目の人ができるはずのことが何一つできないんですよ。書類を書くとか、連絡をするとか、簡単なことでも必ずミスをしてしまう。だから、たとえ大企業に就職したとしてもすぐにクビになると思って。もうそうなったら背水の陣です。よく言えば『天職』だと思って。悪く言えば『やらざるを得ない』という気持ちでした(笑)」
そして、平野氏が天職を天職のまま続けてきたのは、あくまでも事業を起こすことに対する強い“エキサイトメント”があったからだと語る。
平野 「事業に夢中になっているときって、つらいとか苦しいよりも“エキサイトメント”が一番強い感情なんです。瞬間を切り取るとつらいながらも楽しんでいるし、過ぎてしまうと忘れているので(笑)。そうはいっても、AI事業にピボットした瞬間は妊娠中だったので、つわりの苦しさとはずっと隣り合わせでしたけどね。負けず嫌いな性格だったからここまで続いているのだとは思います」
VRやAI、IoTなど、インターネットとテクノロジーを駆使して描かれる未来は明るいはずだ。平野氏もまた、自身が関わることで開かれる未来について以下のように語る。
平野 「これから先は、人類の進化の幅を大きくできるように新しいなにかを生み出していきたいと考えています。ひとりひとりが楽しさだけを感じられる仕事にフォーカスする未来を生みたいなと。20年、30年、下手したらそれ以上の時間がかかるような大きな仕事を成し遂げていきたいですね」
最後に、現在起業や転職を悩んでいる人に向けたメッセージを伺った。
平野 「わたしは、大企業に就職する未来が怖くて起業の道を選びました。企業には必ず栄枯盛衰があるのだから、自分が企業にいることそのものに安心ができなくて。それなら自分で事業を立ち上げたほうが……と思ってきました。 起業家として12年歩んできてわかるのは、事業には“タイミング”がすごく重要だということ。携帯電話が登場したタイミングとか、スマートフォンが登場したタイミングとか。流行が移り変わった瞬間にフォーカスを当てると、今取り組むべきマーケットが見えてくるかもしれません」
起業を目指して起業に生きた平野氏。今、平野氏が追い求める新しい生活の創造の先にあるのはどんな未来なのだろうか。今後登場するスタートアップの未来と合わせて期待をしたいと感じる取材の時間だった。
執筆:鈴木しの取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:矢野拓実