「シェアリングエコノミー」の概念が日本中に広まる昨今。土地、モノ、スキルなど、所有されているものの最適な人の元に行き渡っていないなにかを、最適化するためのサービスがここ数年の間で数々立ち上がっている。駐車場のシェアリングサービスである「akippa」もそのひとつだ。2014年のサービス開始以来、その成長は勢いをとどまることを知らない。現在では、140万人の会員数を誇るサービスだ。まったく経験したことのない領域、初めてのサービス開発に挑戦した金谷氏は、いったいどのような苦労を抱え、akippaを成長させてきたのか。今回は、そんなお話をお届けする。
まず、知りたかった。未知の領域で事業を始めることに対する不安や戸惑いはなかったのだろうかと。金谷氏の回答は、シンプルなものだった。
金谷 「ありませんでしたね。もともと、akippaを考えついたときから、このビジネスは必ず認められるとしか思っていなかったんです。今思い返すと、200個挙げた困りごとの中から、6つほどは実際に困りごとを解決できる面白いビジネスアイデアになったのですが、それらすべてがシェアリングサービスだったんですよね」
当時のアイデアはすべて「困りごと」から生まれたものだという。人が生きる中で困り、解決したいと考えることを挙げ、その中から解決ができそうなものを選別していた。akippa以外のアイデアとしては、宅飲みならぬ「宅食べ」を提唱するサービスを考えていた。飲食店で消費しきれなかった残り物を、自宅に配達すればよいのではないかと考えたのだ。
金谷 「現在のUberEatsのように、一般の方に配達をお願いしようと考えていたのです。ただ、当時、僕らは営業会社だったので、ユーザー獲得に関する知見がほとんどない状態で。配達員もユーザーもCで集めるということは、難易度が高いと感じました。飲食店はBなので営業でなんとかなるんですけどね」
暗中模索の結果、Cを集めるのは一方向のみに限られる駐車場のサービスが魅力的だと感じるようになっていた。また、後にakippaの出資者ともなるエニグモ代表の須田氏の言葉も、強い後押しだったという。
金谷 「シェアリングエコノミーという潮流と、当時、すでに海外で人気が高まりつつあったAirbnbの存在を須田さんが教えてくれたんです。『それの駐車場版であるakippaは必ず成功するから』と、力を貸してくれると言ってくださったんです」
右も左もわからないどころか、右や左があるのすら知らないほど未知の領域への挑戦が始まっていた。ただ、当時の金谷氏のできることといえば、もっぱら営業。ひたすら自転車で道端を走りながら、空いている駐車スペースを探してばかりいたという。
金谷 「できることがそれしかありませんからね。ただ、ひたすら空きスペースを見つけて、電話をかけて……と繰り返していたら、半年で700ほどの空きスペースと提携ができることになりました。比較的良いペースで集まっている体感があったので、このままならサービスとしてもいけるだろうと思ったんです」
困りごとを解決することから、ビジネスアイデアを考え抜いた金谷氏。そもそも、どうして生活の中での困りごとからビジネスを考えたのか。紐解くと、それのきっかけは取締役である松井氏の言葉によって作られたものだった。
金谷 「松井から、あるとき『akippaのビジョンはなんですか?』と聞かれたんですね。ところが、僕は答えられなかった。彼は続けました。『考えてきてほしい。そうでなけば退職したい』と。 そこで、あらゆることを考え、さまざまな地に足を運んだんです。ひとつが、当時、震災から2年が経過していた石巻。復旧は始まっていたものの、ライフラインの必要性を改めて実感しました。また、大阪に戻ったとき、ちょうど僕自身が停電を経験したんですね。そこで、ハッと気が付きました。電気は“なくてはならぬ”ものだと」
「“なくてはならぬ”をつくる」としたakippaのビジョンは、ライフラインを失う自身の体験や被災地の人の声によって生まれたものだった。人の生活にとって、なくてはならないサービスを生み出すことこそ、金谷氏のやりがいであり、akippaの社会的意義であると気がついたのだ。
金谷 「そこからは、空きスペースに営業をかけ、アプリ開発をゼロから始めました。とはいえ、アプリ開発も初めて。アプリ自体を触るのは好きだったので、手書きでワイヤーフレームを書いて、実装まで落とし込めるエンジニアを探しに行きました」
週に3日ほど業務委託契約で働いてくれるエンジニアを探すため、コワーキングスペースに行った。さまざまなエンジニアに声をかけるうち、ひとりが手を挙げてくれたのだ。
金谷 「僕はプロデューサー、松井にディレクターを、akippaのアイデアに繋がる困りごとを出してくれた藤野という女性にプランナーを、そしてエンジニアは業務委託社員。合計4名でアプリ開発を進めていきました。ただ、エンジニア以外は完全なる素人。プランナーの藤野には『デザインもよろしくね』と、Adobeのソフトだけを渡しました……(笑)」
すべて手探りでのサービス開発。とにかく意識したのは、ユーザー目線を忘れないことのみだったという。素人ができる、最大限の努力だったそうだ。
金谷 「内部の仕様には、僕は口出しできないですからね。とにかく、使う人にとって一番親切な設計であることのみを考えて開発を進めていきました。あとは、リリース日だけは遅らせないでねと。資金調達の兼ね合いで、絶対に1日たりとも遅れてはならない状態だったのです」
時としてハードワークもありながら、なんとかリリース。DeNAや須田氏からの資金調達にも成功し、今日に至るまで成長を遂げている。
金谷氏の話を伺っていると、どこまでもバイタリティ溢れる方なのだと印象を受ける。いつだって、迷ったら即行動。考えるよりも先に手足が動くのだろうと感じるからだ。
金谷 「たしかに行動ありきですね、昔から。akippaを創業する前、一度資金調達を行なったことがあるのですが、それもたまたま本屋で手に取った本でVCの存在を知って片っ端から電話して出資してもらいましたし(笑)。人に会うのも、サービスを出すのも全部直感なんです」
圧倒的なまでの感覚派。金谷氏の話しっぷりから、そんな印象を受けた。多くのトライアンドエラーを積み重ねることで、自身の感覚を極限まで研ぎ澄ませているようだった。だからか、金谷氏はPDCAを意識して行動することがない。
金谷 「あえてPDCAを意識してしまうと、PDCAを回すことばかりを考えてしまってうまくいかないんです。英語が話せない人が、英語を日本語へと頭で変換するのと同じでスムーズにいかない感じです。それよりも、意識せずにPDCAを回しているくらいの方がちょうどいい。振り返りだけ忘れないように意識しておけば、高速でナチュラルにPDCAが回ります」
自身は究極の感覚派だからこそ、集める仲間は論理派だ。そうして、バランスを取りながら組織を作っているのだという。
金谷 「自分が知らないことを知っていたり、考えつかない懸念点を挙げてくれるメンバーがいると、それだけでアイデアの精度が高まりますよね。だから、自分とは違った見方で物事を判断する仲間集めをすることが多いです。みんなで意見をぶつけ合って尊重して、最終的にコンフリクトしたら、僕が意思決定を行う。そうして、どんなときでも意見をまとめています」
最近では、直感とデータが合うようにもなり、齟齬が発生する頻度も減っているのだそうだ。長年の、無意識によるPDCAが効果を発揮しているのかもしれない。話していると、金谷氏はいつだって前向きにポジティブに事業と向き合っているように見える。辛いと感じる瞬間は訪れなかったのだろうか。
金谷 「実は、ないんですよね。初期の頃、資金繰りに苦戦したことはありましたが、その程度で。とくにビジョンを定めた2013年以降は、自分たちの事業がどれだけの人の役に立っているのだろうかと考えられているので、やりがいしかないんですよ。 たとえば、akippaを活用したことで、今まで徒歩距離が長くて行けなかったお孫さんの運動会に行けた方のエピソードをもらったことがあって。モビリティがこれだけ進化している今の時代なら、akippaだってどこまでも人の役に立つサービスになれると思うんですよね」
イキイキと話す様子から、そんな未来がくるだろうと容易に想像ができた。自らが生み出した事業が、いったい誰の役に立ち、誰の人生を左右するのか。それさえ明確に見えていれば、立ち止まることなく走り続けられるのかもしれない。金谷氏の取材を終えた今は、そんな風に思う。
取材の最後、金谷氏はこんな一言を残してくれた。今、起業に悩む人たちへ心から届けたいメッセージだ。
──解決したい課題や、助けたい人、残したい体験。それらすべてを包括して、ビジョンを決めることがなによりも大切です。手段は、後から考えたらいい。どうにだってなります。エンジニアでなくても、優秀でなくても、起業はできるしサービスは作れる。大切なのは、根底にあるビジョンなんです。
執筆:鈴木しの取材・編集:BrightLogg,inc.撮影:谷口千博