起業した人や、転職して新たな仕事にチャレンジした人の話を聞いていると、ふと思うことがある。自分ひとりならともかく、家族がいる場合、不安はなかったのかと。反対はされなかったのだろうかと。起業やスタートアップに転職することには、経済的なリスクを伴うことも多く、家族、とくに配偶者の理解が得られないこともある。俗に「嫁ブロック」という言葉があるほどだ。重松大輔氏は、貸し会議室から球場まで、あらゆる場所を1時間単位で貸し借りできるプラットフォーム、「スペースマーケット」を創業した。創業の際に尽力したのが、妻であり、独立系ベンチャーキャピタル・株式会社iSGSインベストメントワークスの取締役/代表パートナーを務める佐藤真希子氏だ。将来目標を共有し、ビジネス面、家庭面の両方で協力しあうふたりに話を聞いた。
重松氏と佐藤氏が出会ったのは、重松氏が新卒で入社した会社を辞めてベンチャー企業に転職するときのことだった。
重松「僕は新卒で大手通信会社に入社し、そこに5年間いました。かなりの大企業でめちゃくちゃホワイトでしたね……だから時間が余っていて。17時半に仕事が終わることがけっこうあった。千葉で勤務していましたが、そこから都心に出て、19時から飲み会に出たりとか。飲み会をいっぱいしてました」
佐藤「時間とお金の無駄だったよね(笑)」
重松「そうだね(笑)。でも異業種交流会というか、飲み会といってもみんな社外の人とだったんですよ。会社の人は50歳以上の年嵩の人が多くて、飲み会に誘ってくれても健康の話とかで……だから常に外に刺激を求めてました。 そうやって社外の人とコミュニケーションを取るのはサラリーマン時代にやっといてよかったなと思っています。全然違う業種で働く佐藤と出会ったのも、ちょうどその頃でしたね」
佐藤「私は新卒でサイバーエージェントで馬車馬のように働いていましたね(笑)。仕事も人間関係も最高に楽しかったし、広告代理店の営業でさまざまなビジネスモデルを見るうちに、プライベートでもこのビジネスは何で流行っていて、どう儲けてどのくらいの収益になるのかって考えるのがすごく好きになったんです。でもそういう話を仕事以外でできる人ってなかなかいなかった。 重松は、そういう話をできる珍しい相手でした。初めて出会ったときも、フォトクリエイトのビジネスモデルの話で盛り上がったんですよ。学生時代にチアリーディングをやっていたんですが、みんな写真が大好きだったんです。なので、プロのカメラマンが撮影した写真を販売しているフォトクリエイトがチア業界を攻めると絶対に喜ばれるし売上も伸びると思うと重松に話して。 そしたら彼、本当にチア団体の契約を速攻で取ってきたんですよ。アドバイスを受けて行動に移すスピード感とか実行力とか、すごいな、なかなかやるなって思いましたね(笑)」
佐藤氏と重松氏にとって、起業することはお互いが目指す目標への手段だった。それでまずは重松が起業することになったが、その背景には、会社員としての仕事にやりがいを見出せなくなっていた夫を見かねた、佐藤氏の後押しがあった。
佐藤「重松は元々、石橋を叩いて渡るタイプなんですよ。フォトクリエイトに転職するまでも結構時間がかかっていたし。転職してからはまさに熱狂してるというくらい、毎日イキイキと働いていたのですが、会社が成長し上場に近づいていくのと反比例するかのように、いきいき働いている感じがなくなってきて……。 ちょうど子どもが産まれたこともあり、家族を大切にしたいという気持ちも働いて、よりチャレンジしなくなっていた気がします。だからもっとチャレンジしなよって発破をかけていましたね。 とはいえ、いきなり「起業」という選択肢は難しいと考えたので、まずは夫婦として、家族として将来どう生きていきたいかと共有し明確にしたんです。それが一致したときに、目標と現実のギャップが頭で理解できるんです。 このままサラリーマンとして働いていてもいいけど、目標としている生き方には知識や経験、人脈、経済力などのギャップはどこまで行っても埋まらない。じゃあ、短期的にはちょっと大変かもしれないけど、どっちがチャレンジしたほうが成功確率が高いか、起業家に向いているかという話になって、圧倒的に夫だよね。とふたりで合意したという感じでした。私はその頃、会社での仕事が楽しかったですしね。 とはいえ、まだまだ慎重派の夫。起業するとなれば精神的なタフネスが必要なので、もう一度自分を信じるという自己肯定感が必要だなと思って。なので重松が今いる現状からステップアップするためにも、休職して3ヶ月フィリピンでの語学留学を勧めたんです。ふたりの課題でもあるんですが、夫も私も語学コンプレックスがあるので、起業したら将来的に絶対にできたほうがいいかなと思ったから。 誰でも、日常の延長線上で新たな環境に飛び込むのは難しい。だから、強制的に非日常を作って自分と向き合い、自己認識を得るには、留学は絶好の機会だったと思います。帰国したときの夫の自信に満ちた顔は今でも忘れません」
重松「ちょうどフィリピンに行っているときにふたり目の子どもができたことがわかったんですが、でもだからこそ期限を切るつもりで、本当に3ヶ月英語漬けになって」
佐藤「週末とかはすることが無かったから筋トレもしていたんだよね。それでちょっと痩せて筋肉もついて」
重松「筋トレは……大事ですね(笑)。帰国後、フォトクリエイトも上場しひと段落したこともあり、ついに起業しようと思うと話したら『絶対行けるよ! 大丈夫!!』と背中を押してくれました」
スペースマーケットで起業する前、重松氏はたくさんのビジネスアイデアを検証してきた。その中で、レンタルスペースのアイデアが最もしっくりきたという。
重松「これは自分の今までの経験が活かせるけどマーケットが小さいなとか、これはデバイスがまだないからタイミングが早いなとか、それぞれの事業について妻と毎日のように帰宅後や朝方にに話してました。 その中でレンタルスペースのアイデアは、いろんなことがピンときた。海外でもAirbnbが話題になっていたし、カーシェアリングや駐車場の時間貸も伸びている。シェアリングは不可逆なトレンドだなって。 また、自分たちで不動産を保有するわけじゃないのでリスクが少なく、ユニークなスペースで会議や年次総会をやるなど、新たな文化もつくれるなと」
佐藤「世の中の波を捕まえるというのはすごく大事だなと思います。トレンドに乗るとメディアにも取り上げてもらえやすいですし、事業を人に伝えるときにも、“Airbnbのスペース版”など、伝えやすい。ワーディングを意識するのも、ビジネスを起こして広めていくときに欠かせないPRです」
重松「とはいえ、立ち上げはやっぱり大変で。当然、ユーザーゼロの状態から始まるので、知り合いの会社の打ち合わせやイベントにスペースマーケットを半ば無理やり使ってもらっていました。 システムではなくて自分が間に入って、つまりオフラインでマッチングさせたりとか、文字通り足を使ってました。本当に立ち上げ時にはいろいろな方にお世話になったのでとても感謝しています。 その後は資金調達もでき、どんどんユーザーも登録物件も増えてきて、今のかたちになりました」
ふたりは3人の子どもの親でもあるが、子育て真っ只中のときに起業することに不安はなかったのだろうか。
重松「まずはその不安要素をちゃんと分解していくことが大事です。うちの場合は妻が働いていることと、妻のご両親が子育てをかなりサポートしてくれることが大きかった」
佐藤「家族内での役割分担をどうするかも考えることですね。起業家によっては、パートナーに家や子どものことを完全に任せられるから成功されている方もいますし。夫婦によっていろいろだと思います。私たちはふたりで働いてお互いに頑張っているのが楽しい。」
重松「もし家族が入院していたり介護が必要だったら、もっと着実にやっていくようなビジネスモデルを選んでいたかもしれません。。ビジネスの根っこには、いつも生活がある。知り合いの経営者の半分ぐらいは離婚している気がして……。 それくらいバランスをとりながらビジネスをやるのは大事だし難しいことだと思います。家族がいるんだったら、資金調達したらちゃんと役員報酬を取ったほうがいいですし」
佐藤「私も仕事柄多くの起業家に会いますが、経営者には苦しいときはそうはいかないけど役員報酬はきちんと事業に見合う金額を取ってねと言っています。家族あっての起業だからって。ご家族が大変なときは、ゆっくり休んでねとか」
重松「そうは言われても、なかなか気が休まらないけどね。立ち上げのときとかはとくに。実際、立ち上げ時は経済的にも厳しい部分がありました。役員報酬も半年以上もらっていませんでしたし、コストを削減するために、頼み込んで、知り合いのオフィスに無料で入居させてもらっていましたしね」
佐藤「資金調達までの期間は、夫と1号社員のために毎日お弁当を作っていましたね。今思えば、経済的な苦労はありましたが、最悪は家を売って家族で郊外に引っ越して生活コストを下げる覚悟はできていたし、私がどうにかしようとも思っていましたしね。 それでも、起業時の金にまつわる話はやっぱりシビアだと思います。夫婦って、もしかしたら会社以上に将来を見据えて協力しあっていかないといけないのかなって思うんです。どういう夫婦であり続けたいかを考えるのと、どういう会社であり続けたいかを考えることは似ています。 短期的に考えると起業することはリスクに思えますが、ゆくゆくはこうなりたい、という夫婦のあり方のギャップを埋めるための手段として起業や転職が必要ならば、それは必要なチャレンジと捉えることができるはずです」
それぞれ、起業家、キャピタリストとして、スタートアップ領域にいるふたりは、スタートアップに飛び込む人についてどう考えいるのだろうか。
重松「スタートアップって、やっぱりものすごく泥臭いんです。やりたいこと、やらないといけないことはものすごくあるし、人もお金も含めてほとんどのリソースは足りません。だからこそ、そこに飛び込むことに価値はあるし、飛び込んでくれる人は大切にしたいと思っています」
佐藤「スペースマーケットの場合は、立ち上げ時の何名かの社員は私が紹介しましたし、入社を検討してくださる方の奥様に、私たちも家族で会いに行ったこともあります。そういう信頼はすごく大事なんだろうと思っています。スタートアップに飛び込むのは、やっぱり不安を感じるものなのだって理解もしています。」
またふたりは、起業したりスタートアップに行ったりしたらもう元の会社や大企業に戻れないという心配は無用だという。むしろそうした経験こそ、オープンイノベーションや社内起業家を望むさまざまな企業が求めている。
重松「日本が抱える大きな問題のひとつは、キャリアの流動性がないこと。同窓会に出ると、同じ会社にずっといる人が本当に多い。変わらない会社、変わらない社員ってお互いにメリットがないので、実はミドルエイジの人こそ今いる環境から飛び出せばいいと思うんです。 仮に僕が今、新卒で入った会社に戻るとしたら、間違いなくずっと働いていたよりも面白いポジションや仕事ができるのではと思います。それくらい、外で経験したことは必要とされる。たとえそれが2〜3年だとしても、失敗したとしてもキャリアになります。大企業もスタートアップも、失敗しても挑戦し続ける人をどこも採用したいんです。 だから、『最近俺、成長してないな』って思ったらどんどん飛び出してほしい」
佐藤「人生100年時代だから、いろんなキャリアを経験すればいいんだと思います。起業だけじゃなく副業も含め、まずは小さくても現状からの脱却をちょっとづつはかっていく。そうすると経験も知識も、付き合う人も変わっていく。自分の発信が変わると、自分の世界がどんどん変わっていくことを実感できるはずです」
執筆:菅原沙妃取材・編集:BrightLogg,inc.撮影:戸谷信博