スタートアップを学ぶならシリコンバレー。そう感じてか、スタートアップの知見を得るために渡航する日本人は多い。なぜなら、スタートアップが続々と生まれる聖地で学ぶことで、新たな価値観やアイデアに出会うからだという。ところが、シンガポールに住むとある学生は、起業を志した際の渡航先に日本を選ぶのだそうだ。理由は「テクノロジー(工業技術)のことを学ぶなら、日本が一番」だから。灯台下暗し。日本人は、自国の強みに気がつかず、シリコンバレーへの渡航を目指す。そんな日本の現状に目を向けた人物がいる。ミドリムシのR&Dで注目を集めた株式会社ユーグレナで副社長を務める、リアルテックファンド代表の永田暁彦氏(以下、永田氏)だ。日本で、テクノロジーを支援するファンドを立ち上げ、研究者の支援を行なっている。それでは、日本でテクノロジーを研究するおもしろみとは、いったいなんだろうか。詳しく話を聞いてきた。
まず、単刀直入に聞いてみた。日本でテクノロジーの研究開発に取り組む魅力はなんだろうかと。
永田 「日本には、どの国にも負けない工業技術があります。日本人は忘れてしまっているかもしれませんが、昔は技術立国と呼ばれたのがこの国ですから。トヨタ、パナソニック、三菱、日立と、日本には売り上げが1兆円を超えるテクノロジー企業がたくさんあります。日本は、工業技術としてのテクノロジーの集積地、いわばテクノロジーのシリコンバレーなんです」
社会がどれだけ衰退しても、ファッションが栄えるのはイタリアだろう。日本であれば、テクノロジーがきっと強みだ。でも、日本人は自国の魅力には気がついていない。
永田 「日本では、きっとソフトウェアサービスの雄である、GoogleやFacebookは生まれません。Googleが生まれるのは、西海岸。だけど、テクノロジーなら、日本はどの国よりも強い。ハード開発を伴うテクノロジーであれば、言語の壁を突然超えて全世界の70億人を対象に、イノベーションを起こせる可能性が十分にあるんです。それを間近で見られるのは、テクノロジーに関わる最大の魅力です」
ファンド名にも付いた「リアルテック」のフレーズは、永田氏の生み出した造語だ。地球と人類の課題を解決するための、先進的研究開発型の革新的テクノロジーを総称して、永田氏はそう呼ぶ。
永田 「インターネットテクノロジー(IT)に対しての、アンチテーゼから生まれた言葉なんです。昔、リーマンショック後のファイナンスが厳しかったとき、スマホゲームで儲ける人々を横目に悔しい想いを抱いてきました。だから、そんな状況を変えたかった。リアルテックが儲かる、かっこいい、成功するとなれば、これからその領域に携わる若者も増えるだろうと考えています」
研究者はオタク、研究だなんてダサい。そんなイメージを持たれる未来ではなく、キラキラと目を輝かせる若者が増えるように。研究以外の目線から、リアルテックを広めるために、永田氏率いるリアルテックファンドは活動する。
振り返ってみると、永田氏がはじめて起業を意識したのは高校時代。偏差値の高さと進学先の大学名を重視する進学校で、医者、大企業、官僚の道を歩むことが正しいと信じて疑わない同級生に囲まれた学生生活を過ごして上京。慶應義塾大学に進学した。
永田 「昔から、やらないといけないこととやりたいこと、やりたくないこととやらなくていいことを分けて考えるような子どもでした。画一的で、ある種成功とされてきたキャリアを当たり前と考え、それに流される高校の同級生たちに疑問を抱いたので、イケてる大学生が多いであろう慶應義塾大学に進んだんです」
ところが、永田氏が思い描いた慶應生と、実際の同級生たちの姿とには、ギャップがあった。サークルやアルバイトに勤しむ学生もいれば、周囲に流される学生だっている。入学早々、意気消沈した永田氏は、履修届を提出することなく休学した。
永田 「当時は、学生たちの多様性に気がつかなかったんです。僕自身にも表層だけで画一的に人を見定めるクセがついていました。ただ、構内で歌舞伎町のお店でNo.1のホスト学生とか、研究者とか、学生としては変わったキャリアの人たちと出会ったことでその考えも変わっていきました。人の性格には幅があるし、無理して自分ばかり特別だと思い込んでいたように感じたんですよね」
休学期間を経て、学生生活に戻った。同時期、たまたま出会った人からプライベートエクイティファンドに誘われて、学生の傍らで投資事業に取り組むようになる。そのままファンドに入社し、永田氏のファーストキャリアになる。
ファンドでの投資経験を経て、永田氏はユーグレナにジョインする。理由は、前職で投資先としてユーグレナと深くつながりを持っていたこと。そして、永田氏がジョインすることで、ユーグレナがグロースする見込みがあったからだという。
永田 「僕は、キャリアを選択する際に、自分のリスクを考えていません。それよりは、学生時代に多額の学費を支払ってくれた両親の生活を安定させることを考えていて。ファンドにいたとき、2年目には会社の売り上げの半分をまかなえるようになっていました。つまり、いつファンドを辞めてもキャッシュをつくる能力が身についているだろうと思ったんです。そんなときに、ユーグレナ代表の出雲から誘いを受けました」
ユーグレナへのジョインは、未来のユーグレナのために自分ができることを考えた結果選んだ道だった。
永田 「僕は、きっと根本的に投資家の気質があるんです。というのも、転職はROIによって決めるべきだと思っているんです。ユーグレナに自分が加わることは、ユーグレナから見ると人への投資です。であれば、投資によってグロースを生み出せなければ、意味がないなと。企業に自分が乗るのではなく、自分のうえに企業が乗って、どう泳ぐのか考える。それが、僕にとっての転職です」
永田氏がジョインした当時、ユーグレナには創業メンバーを中心とする経営陣がいた。全員が推進力を持って事業を進められるメンバーではあったものの、チームとしてはピースが欠けていた。欠けたピースを補填できる存在として、永田氏が加わったのだ。
永田 「ファンクションとしての側面だけでなく、性格的にも、ユーグレナのメンバーとはすごく相性が良かったんです。スタートアップって、多くの場合はファンクションに穴があるんです。その穴を見極めて、自分が加わることで企業がグロースへ向かうのかどうか。それが、判断基準です。報酬はそのグロースの対価を一部受け取るイメージですね」
ユーグレナの取締役としてIPOも経験した。そんな永田氏が、新たにリアルテックに特化したファンドを立ち上げたのは誰も挑戦したことのない領域だったからだった。
永田 「前職を退職してユーグレナに移るときから、数年でIPOしてファンドをつくると決めていました。それも、現役で。投資する側とされる側を両方とも経験があるからこそ断言できるのですが、投資する側はされる側の気持ちが全然わからないんです。だから、両方を現役で続けようと、そう決めたんです」
IT領域では、IPOをはじめスタートアップが社会に影響を与えるまでに成功した事例は多い。ファイナンスが容易になったことも語られる。ところが、リアルテック領域は異なる。成功事例どころか、まだ誰も打席にすら立っていない。そんな未踏領域だ。
永田 「これは個人的な見解ですが、たぶん、リアルテック領域での最後の成功者というと、日本電産の永守重信さんなのではないでしょうか。その前は、本田宗一郎さんまで遡ってしまうかもしれません。それだけ、誰も挑戦していない領域なんです。だからこそ、リアルテックの現場で戦う投資家と起業家が必要だと感じました」
リアルテックファンドの立ち上げにおいては、投機ではなく投資を目的とした出資企業を集めた。30社から出資を得て、外部資本で運営するファンドだ。
永田 「リアルテック領域は、マーケットやプレイヤーの成熟度が低いことが課題です。だから、企業のバリューアップ実績と投資実績を持ったうえでファンドをつくることで、周囲からの信頼が得られるよう設計しました」
リアルテックが日本に、世界に浸透していく未来。そんな未来に向けて、リアルテックファンドは挑戦を続ける。これからの未来を、永田氏はこんなふうに捉えていた。
永田 「資本主義からの脱却を未来の目標として掲げています。今、日本ではお金のある人が、そのお金を投資に回すことなく貯め続けている。だから歪みが生じています」
リアルテックが浸透した先の世の中は、生命維持活動ではなく好奇心を満たすために人が生きるようになる。いずれ、資本主義経済ではなく、知識の対価交換をはじめる時代が訪れると、永田氏は考えている。
永田 「これからの時代、衣・食・住はテクノロジーが解決するでしょう。空腹も安全住居もすべてが満たされる。だから、僕たちの欲求は『もっと良い服が買いたい』ではなく『宇宙の果てを知りたい』のようなかたちで壮大に変わっていくはずです。そして、それらを可能にもする言語を必要としないテクノロジーの力で、全世界に影響を与えていきます」
インターネットテクノロジーは飽和しつつある。知りたいことは瞬時に検索ができ、どこでも動画が見れる。しかし、技術がどれだけ発達しても、人はまだ空を飛ばないし、ドアを開けて別の場所へとワープもしない。リアルテックの世界には「できたらいいな」が、まだまだたくさんあふれている。だからこそ、今投資する価値がある。飛び込む価値がある。夢にまで見た理想の世界は、いまや自分たちの手で少しずつ生み出せるようになってきている。リアルテックなんて、ダサいから、古いから。そう考えてはいないだろうか。研究なんて、儲からないから。そう決めつけてはいないだろうか。案外、世界を変えるのは、ITばかりではないのかもしれない。
執筆:鈴木しの取材・編集:BrightLogg,inc.撮影:戸谷信博