人材不足を始めとする課題が指摘されて長い日本の農業業界。アグリテックという産業が確立されるほど、多くの企業がテクノロジーを用いて解決策を提示してきたが、根本的な解決の目処はまだ立っていない。そんな中、AI技術を用いた自動収野菜穫ロボットを開発し、数々のピッチコンテストやカンファレンスで優勝をするスタートアップが現れた。鎌倉の古民家をオフィスとするinaho株式会社(以下、inaho)だ。最先端のロボットを開発しているとは想像もできないのどかな住宅地の中で、日本の農業の未来を左右するイノベーションが起ころうとしている。今回はinaho共同代表の1人である菱木豊氏にいかにして自動野菜収穫ロボットを開発したのか、その苦労と試行錯誤のプロセスについて話してもらった。
■菱木豊(ひしき・ゆたか)1983年神奈川県生まれ。鎌倉育ちの鎌倉っ子。不動産コンサルティング会社に入社し、4年後に独立。震災復興のための野外フェスの主催、鎌倉の地域活動「カマコンバレー」の運営、「The Wave(湯川塾)」の事務局など、幅広い分野で活動。2014年に大山宗哉(現COO)らと株式会社omoroを設立。不動産Webサービスを開発運営後、事業を売却。2017年にinaho株式会社を設立し、AIを活用した野菜収穫ロボットの開発に取り組む。富士通アクセラレータプログラム「第7期ピッチコンテスト」最優秀賞、ICCサミット「スタートアップ・カタパルト」優勝など受賞歴多数。
鎌倉の古民家を利用したオフィスの庭で、菱木氏はロボットのデモを見せてくれた。収穫用のカゴを載せた愛嬌のある姿だ。
菱木「農家さんそれぞれに名前を付けてもらおうと思って、ロボットには名前を付けないことにしたんですよ。説明会とかで農家さんたちにロボットに触れてもらっていると、最初はロボットと呼んでいたのが、いつの間にか『ロボットちゃん』って呼んでくれるようになるんです。それぞれの農家さんに名前を付けてもらって、愛着をもって利用してほしいですね」
菱木氏は優しい表情でそう話してくれた。畑の畝(うね)と畝の間には白いテープが敷かれており、ロボットはそのテープに沿って走行している。不規則に生えているアスパラガスの前まで進むと止まり、アスパラガスに向けて的確にアームが伸びる。アームの先端にはアスパラガスを挟むハンドがついており、ハンドがアスパラガスを掴むとハンドについていたカッターがアスパラガスを切断するのだ。切られたアスパラガスは、そのままカゴの中に収穫されていく。一連の動作があまりにもスムーズで、まるで人が操作しているかのようだ。
カゴが満杯になると農家の人のスマホに通知が届くという。カゴの交換さえしていれば、他の野菜の収穫をしたり、家で休んだりしている間にアスパラガスの収穫を代わりにやってくれるのだ。いずれはカゴの交換や充電すらも自動で行えるようにする構想もあるようだ。
菱木「今は講演会やデモを行うために全国を飛び回っているんですが、デモを見た9割の農家さんが欲しいと言ってくれますね。実は野菜は大豆などの穀物に比べて単価が高いので、野菜を育てたい農家さんは多いんです。しかし、野菜の収穫が大変なため、渋々諦めている農家さんもいました。 うちのロボットを見てくれたときに『収穫の人手がかからないなら野菜を育てたい』と話してくれる農家さんもいるんです。作付面積を増やしたくても人手が足りないことがネックになっている方もいるので、このロボットを使ってたくさん野菜を作ってたくさん稼いで欲しいですね。 今はアスパラガスとキュウリの開発を中心に進めていますが、この技術を応用して他の野菜も自動で収穫できるようにしていく予定です。収穫できる野菜が増えれば、それだけ多くの農家さんに貢献できることになるので」
画期的な商品を開発し、注目を浴びるinahoだが、代表の菱木氏はAIについてもロボットについても未経験だったという。ハードルが高いとされるAIやハードウェアビジネスに参入したくても、二の足を踏んでいる人にとっては希望の持てる話かもしれない。農家でもなかった菱木氏が、未経験の技術を使って農業の課題を解決をしようと思ったきっかけはなんなのか。
菱木「実は私の最終学歴は調理師学校なんです。そもそも学生時代は社会に出たくなくて、いかにこの楽しい時間をのばせるかばかり考えていました。そんな大学生時代にアメリカに留学した際、友達に料理を作って喜ばれたのが嬉しくて、大学を辞めて調理師学校に入学したのです。 調理師学校を卒業して就職したのは高級なホテル。そこでの仕事は料理ではなく、すでに出来ているものを温めて盛り付けるだけ。当時は、それをただの作業でしかないと感じてしまいました。これをずっと続けるのは無理だなぁって思っている時に、友達に投資用不動産の営業に誘われ、儲かりそうという思いで転職したんです。 数億円するマンションを買ってもらうその仕事は、やってみたらとても楽しいものでした。妥協せずに、自分が納得できるいい物件だけをお客さんに紹介することを続けていくと、私のお客さんはみんな儲かっていったんです。10年以上キャリアのある先輩には『こんなに仕事ができる奴は見たことない』と言われるほど相性が良かったみたいです」
しかし、そんな中リーマンショックが起きる。菱木氏の仕事へも大きな影響を与えた。景気の悪化により、市場が縮小し取り扱える物件が減ってしまったのだ。
菱木「サラリーマンであれば条件の良い物件がなくても、ノルマを達成するために売らなければなりません。ところが私は自分が良いと思えないものを売るのが嫌だったんです。なので、自分がおすすめできるものは自分で作ることにしたんです。 そこから個人で不動産販売を始めながら、不動産会社向けのWebサービスを作ることにしました。それが1回目の起業です」
不動産の営業マンだった菱木氏が、なぜAIビジネスに興味をもったのだろうか。
菱木「私は偉人伝などを読むのが好きで、成功している人たちの共通点は、時代の潮流を読み、流れに乗っていることでした。私たちが生まれてからの社会の変革を見ていくと、インターネットができてモバイルができて、今はスマホがあって。そう思ったときに、時代の潮流に乗ってビジネスできていない自分が悔しいなって思ったんです。それで次に来る潮流はAIだと思い、AIを使って何かできないか考えるようになりました。 ラッキーだったのは、ITジャーナリストの湯川鶴章さんの塾の事務局をしていたことですね。技術の最先端で活躍している方の講義を、毎週2時間聞きくことを繰り返していたので、AIで何ができるのかということは分かっていました」
その後、約1年にわたりAIでどんなビジネスをするのか考える日々が続いた。良さそうなアイディアがあっても既に海外で開発されていたりなど、なかなか自分らしいビジネスのタネを見つけることができなかったのだ。そんなとき、地元鎌倉の地域活動で出会った農家の人と飲みに行く機会がたまたま訪れた。
菱木「ちょうど飲みに行く前日、AIを使ってレタスを間引く開発の話を聞いたので、その農家さんに話してみたんです。そうしたら『レタスを間引く前に雑草抜いてよ』って言われたんです。そのとき、AIを使えば野菜と雑草を見分けることはできると思いましたし、他では誰もやっていない技術でした。AIで農業に革新を起こせると思ったんです」
農業をビジネスの舞台と決めた菱木氏は、ビジネスの構想を練るのと同時に、何軒もの農家を回って話を聞いた。まだ何を作ればいいのか分からなかったため、ニーズを明確にする必要があったのだ。
菱木「このとき農家さんを回ったのは、後に役立つ資産になりましたね。何軒も農家さんを回ったことで課題を明確にできたという面もありますが、それよりも、課題があるということを強烈に意識できたのは大きかった。 50軒も農家さんを回っていると、本当に農家さんが困っていることを肌で感じられましたね。それは後に壁にぶち当たったときに『これは絶対に社会に必要なもの』と信じられる根拠になりました。おかげでどんなことがあっても、開発を中止したいと思ったことは一度もありませんでしたね。 もうひとつ、強烈な課題意識は採用活動の時も役立ってくれました。本当に農家さんが困っている現状を見て回ったので、応募して来てくれた方に自信を持って今の課題やビジョンを語ることができたんです」
このタイミングで手抜かりなくニーズを明確にしたからこそ、強い想いでアイディアを形にしきれたのだろう。しかし、想いは強くてもお金も技術もない菱木氏は、まずはお金がなくても話を聞いてくれそうな大学の先生たちにコンタクトをとった。
菱木「当時はそれこそ100人以上の先生にアプローチしましたね。それでも、実際に会うことができたのは5~6人でした。最初からそういう結果になるのは分かっていたので、アプローチするのは全然苦ではありませんでしたけど。 先生に会いに行くときも具体的な案があったわけではありません。『こんなことで困っている人がいて、AIを使えれば解決できるのはわかってるんですけど、どうすればいいですかね?』っていう感じです。そんなことで結局、日本有数の理工学系国立大学の先生にアーム作りを協力してもらうことになりました」
協力してもらう話はまとまったものの、まずはお金を集めなくては始まらない。プロトタイプもない状態にも関わらず、なんとか1000万円を集めた菱木氏はなんとか最低限の金額を支払うことができた。しかし、新たな壁が現れる。
菱木「ソフトウェアを作るのにとても苦労しました。AIは太陽光の下でものを認識させるのがとても難しいんです。天気によって明るさも異なるため、さまざまな状況で認識ができなくてはなりません。そして、なんとか炎天下でもものを認識できる1台25万円もするセンサーを見つけたので、なけなしの400万円を使って外注して作ってもらったのです。 しかし、このときシステムはできませんでした。納品されたシステムは誤差が大きく、商品としては実用に耐えなかったのです」
スタートアップは、何が起こるかはわからない。ソフトウェアを外注するのと同時に、Wantedlyでも画像認識ができる人間を募集していたのが功を奏した。なんと、それを見て応募してきた人間がシステムを完成させたのだ。
菱木「そのときはお金がなかったので、ちゃんとお金も払えなくて業務委託でお願いしていましたが、後々、彼が社員第一号になります。 彼は大学時代にAIの研究をしていたのですが、大学院を中退して当時は地元の道の駅でバイトしてたんです。彼の周りも農家さんが多く、日頃から農家さんが困っているのを目の当たりにしていたので、農家さんのために何かしたいと思っていたそうなんです。そんな彼にとって『AI×農業』というのがとても響いたみたいですね」
システムが完成し、野菜が判別できるところまできた。次はアームだ。開発を協力してもらっていた大学の先生は、空気圧を制御させることが得意で、ベンチャー企業の役員を務めている先生だった。自然と期待も高まる。しかしこのとき、計画が破綻していることに気づく。先生は室内で利用するアームの開発を得意としていた。そのため先生が研究していたアームの構造では膨大な量の電気が必要なるのだ。室内では問題ないが、外で使うアームを求めているinahoにとっては致命的な欠点だ。窮地に立たされたそのときも、新しい人間がinahoを救った。
菱木「ちょうどそのころ採用した人が、アームの開発を内製しようと言い出したんです。そして彼は実際にひとりでその問題を解決し、アームを完成させました。この課題を解決できたのは彼を採用できたことに尽きますね」
壁が現れたとき、それを解決できる人間を採用して乗り越えてきたinaho。多くのスタートアップが採用に課題を感じている中、なぜinahoは優秀な人間が採用できるのか。
菱木「事業がブルーオーシャンだからですね。うちにはもともともAI系の会社で働いていた人もいるのですが、私たちの事業にやりがいを感じて来てくれる方が多いです。というのも、AIが一番発揮されるのは自然の中、つまりinahoのようなビジネスだからです。 AIを工場内で活用させることには、これまでさまざまな企業が取り組んできました。しかし、それは99%の正確性を99.99%に引き上げるようなもの。本当はもっとボラティリティが大きい環境こそ、AIの真価が発揮されます。ニッチなビジネスを展開しているからこそ、やりがいを感じる方も多いですし、協力も得やすくなると思います」
時代の潮流を掴んで起業することを考えていた菱木氏が、ニッチな分野に挑戦し多くの方の共感を得たのは自然の成り行きとも言えるかもしれない。しかし、時代に変革を起こすのは簡単なことではない。菱木氏が自分に給料を出せたのは起業してから実に4年も経ってから。個人で不動産の仕事をすることはあったというものの、貯金が数百円になり、手元にあった趣味の品を全て売ったということもあるという。それだけ厳しい状況を、どんな心境で乗り越えたのだろうか。
菱木「諦めようと思ったことは一度もありませんね。なぜかというと、私たちが向かっている未来というのは遅くても10年後には必ず現実になってるという確信があったからです。あとは誰が早くその未来を実現できるかの勝負だと思ったんです。そこが見えていたので、後になって後悔したくないという想いが強くありました」
いくつもの試練を乗り越え、ついにプロトタイプが完成したinaho。これから実証実験を重ねつつ、販売を強化していくフェーズだ。そうなると今度は競合の出現が懸念される。アグリテックを手がける大企業が同じ市場を狙うのは容易に想像できる。いかにして大手の参入に備えるのだろうか。
菱木「スタートアップが大企業に勝てるのはスピードだけだと思っています。だからこそ、これからはいかに早く多くの農家さんにサービスを導入できるかが勝負だと思っています。 自分たちが作ってきたから分かりますが、私たちが作ってきたものは大企業と言えど、簡単に作れるものではないと思っています。Webサービスと違い、システムからハードまでいろんなものが複合して作られているからです。その上、対自然のサービスのため、全ての環境に対応できなければなりません。 同じものをゼロから開発するには数年を要するでしょう。その数年の間に、いかに市場を開拓し先行者利益を得られるかが、これからの勝負になると思います」
インタビューの最後、これから起業を目指す若者へのアドバイスを求めると菱木氏は「起業はしないほうがいい。多くの時間を使い、報われないことも多い。それでも、どうしてもやりたいと強く思えるなら、チャレンジした方がいい。やらないで後悔するよりはチャレンジしてみて経験を得た方がきっといい」と答えてくれた。解決すべき課題と、将来のビジョンだけを手に、共同代表である大山氏と共にビジネスを始めた菱木氏。経験者ですら難しいハード系スタートアップの立ち上げには、答えがあるのか疑いたくなるようなタイミングもあったことだろう。しかしその度に、諦めることよりも、逃げて後悔することを恐れて壁を突破してきたのだ。菱木氏の成功モデルは、多くの起業家の言い訳を封じることになるかも知れない。「未経験の業界だから」「新しい技術だから」「大企業でもできないことだから」。スタートアップにはたくさんの「できない理由」ばかりが現れる。そんな言葉にくじけそうになる時はぜひinahoを思い出して欲しい。できる理由を見つける原動力になるかもしれない。
執筆:鈴木光平編集:BrightLogg,inc.撮影:戸谷信博