日本の製品はコストパフォーマンスが高いと言われている。薬局で爆買いする外国人に関するニュースも記憶に新しい。とくに、経済成長を遂げたことで、給与水準が日本とほぼ横並びになった中国の人々は、質の良い日本製品を手に取る機会が増えたのだという。そんな日本と中国の今を見つめ、ビジネスの勝ち筋を見出した企業がある。Inagora株式会社(以下、Inagora)だ。代表の翁永飙氏(以下、翁氏)は、留学生として来日して以来、日本と中国との橋渡し役を続けている。そんな翁氏が考える、起業の醍醐味はいったいなんだろうか。これまでの経歴を紐解きながら、翁氏のこれまでやInagoraにかける想いを伺った。
翁氏が日本を訪れたのは、18歳のときだった。1年間の日本語学校、4年間の大学、2年間の大学院と、7年間を学生として日本で過ごすことで生まれたのは「どんなことがあっても食いつなげる」という確固たる自信だ。その自信は、ゆくゆくの起業時の意思決定にも深く関わっている。
翁 「7年間の学生生活で、はじめのうちは時給600円のアルバイトをしていました。引っ越し作業員、コンビニ店員、レストランのホールスタッフ、ホテル清掃員などを経験していたのですが、そのなかでわかったことがありました。それは、世の中にはいろいろな仕事があって、これだけ仕事があるなら生きていくことだけならできるのだということです」
アルバイトと学生生活に明け暮れるなか、中国語と日本語を話せることが幸いしてはじめた通訳のアルバイトが、翁氏にとってのターニングポイントのひとつだ。日本と中国とをつなぐハブになる初めての経験は、刺激的でエキサイティングだったと語る。
翁 「通訳の仕事は、ビジネスの交渉の場で交わされる会話を相手に伝える仕事です。独特の緊張感や盛り上がりがあり、商談がすごくエキサイティングだと感じていました。大学院卒業後、同級生の多くがメーカーの研究職に就いたのにも関わらず、僕が商社を選んだのもビジネスの現場にいたいという想いからでした」
じつは、大学生の頃に、一度起業を考えたという翁氏。通訳の仕事を活かした企業の中国進出コンサルティングをモデルとして考えていたが、時期尚早と周囲からの反対を受けていた。
翁 「掛け持ちしなければ稼げなかったアルバイトが、いつの間にか通訳一本で良くなっていたことからビジネスとしての成功もあるのかもしれないと考えていました。ただ、学生ひとりが生活できる程度では、企業としては成立しないと周りから止められてしまったんです」
新卒で入社したのは、大手商社の伊藤忠商事。いずれ起業するからと、5年間と期限を切って入社した。「伊藤忠大学に入らせてもらったと捉えて入社した」と翁氏は当時を振り返る。
翁 「入社してから、宣言通り約5年間で退職しました。僕が退職する頃は、日本はちょうどインターネットバブルの終盤。名刺交換のサービスをつくると、描いていたビジネスモデルを上司に話したところ、伊藤忠も興味のある分野だからということで出資していただくことになったんです」
起業時に100万円、その後、3ヶ月後には追加で4,000万円の出資があった。そうして生まれたのが、翁氏が初めて創業したアクセスポート(現、JWord)だ。インターネット広告で収益を回収するビジネスモデルで、名刺交換のサービスをローンチした。ところがローンチからほどなくしてビジネスは傾きはじめていた。
翁 「アクセスポートを創業したのは2000年。当時はまだ、インターネット広告がすぐに収益化できる環境ではありませんでした。BtoBに展開できるほどの規模もなく、CRMなどへの活用も見込めなくて。続けるためのキャッシュが足りないことに気がつきました」
キャッシュを得るために選んだのは、受託開発案件だ。ただ、もちろん制作案件をこなすためだけに起業してメンバーを集めたわけではない。時間が経つにつれて、「いったいなにをしているのだろう」と疑問が湧いていたという。
翁 「1ヶ月近く家に帰れなかったり、カプセルホテルのシャワー券だけをたくさん買ってきてホテルでシャワーだけを浴びるなんて生活を続けていました。そこで思ったんです。どうして起業したんだろうって」
2002年の1月、年明けに創業メンバーで話し合った結果、受託開発案件をすべて断り、起業のタイミングから案があった、アドレスバーの検索ソフト「JWord」の開発と営業に注力した。月内にすべての仕事を断り、2月には体制を整えて、5月にサービスをリリース。「やめる」決断があったからこそ、見えたこたえだった。
その後、2004年にJWordはGMOへの売却というかたちでイグジットを迎えた。「Yahoo! JAPAN」「Google」「MSN」に次ぐ、国内4位の検索トラフィックを誇るまでに成長した。その後は、中国に本拠地を置く「Kingsoft Corporation」とのジョイントベンチャー、キングソフト株式会社を設立している。
翁 「JWordをGMOに売却したあとは、ロックアップでしばらくGMOに残っていました。ただ、次のビジネスではポータルサイトよりも、ユーザーが使わなければならないソフトでの広告ビジネスに挑戦したいと考えていました。そこで見つけたのが『Kingsoft Corporation』です。すぐに知り合いのツテをたどって、社長の雷軍(レイ・ジュン)さんに会いに行きました」
はじめは日本でのビジネスなど考えたこともない口ぶりの雷氏だったものの、視察として日本を訪れた際に印象ががらりと変わった。マイクロソフトの「Word」が世界的に大きなシェアを持つ中、当時の日本では、ワープロソフト「一太郎」も根強くシェアを持っていた。日本でのオフィスソフトウェアの市場規模にただただ驚き、ジョイントベンチャーの話が進んだ。
翁 「僕自身はロックアップされていたこともあり、別に代表を立てて創業しました。僕はというと、渋谷のセルリアンタワーの近くにオフィスを構えて、昼休みだけはキングソフトにコミットする生活でした(笑)」
コミットメント量の少なさは、企業成長の大きな妨げになった時期もあったという。赤字続きで、キャッシュが足りず、そのうえ結束力もない状態に陥っていた。
翁 「そもそも代表が会社に来ないからと、スタッフみんなが同じ方向を向くまで時間がかかりました。キャッシュの問題に加え、組織の体制変更で半分のスタッフが辞めてしまったこともありましたね。なんとか倒産せずに済んだのは、残ったスタッフが一丸となって黒字化を目指してさまざまな事業に取り組んでくれたおかげです」
キングソフトの創業から1年後にはアクセスポートを、その8年後にはInagoraをといった具合で、次から次へと創業を続ける翁氏は、事業を成長させるために必ず必要なふたつの要素を見い出した。それが、コミュニケーションの密度と共感の強さだ。
翁 「これまでいくつも企業を立ち上げてきましたが、つらい瞬間を乗り越えるための方法はいつも共通しているんです。方向性が見えなくなってしまった時に、一旦立ち止まってみんなで考えて納得するまで議論すること。深く議論することと、一緒に進む人や想いへの共感が必要です」
現在、越境ECプラットフォームを展開するInagora。かたちは違えど、日本と中国をつなぐ存在として翁氏が叶えたい夢はいつも変わらない。著しい経済成長を遂げる中国に対して、日本製品をスムーズに快適に届けるためのビジネスを行なっている。
翁 「30年前に日本を訪れたときから、日本人が中国に対して抱く『なんだかすごいけど、ビジネス展開は難しい』という肌感はずっと変わっていません。人もルールも文化も性格もなにもかもが違いますから、ギャップを上手に埋める存在が必要なんですよね」
これから先、日本は高齢化社会によって、労働人口が減少するといわれている。既存のビジネスを続けるだけでは、必ずシュリンクする業界が現れるだろう。そんなときに、シュリンクを防ぐための方法として考えられるのが、海外展開だ。
翁 「今、中国は給与水準が日本とほぼ並びました。物価が少し安い分、可処分所得は中国人のほうが多いかもしれません。だからこそ今、日本製品をたくさん買える中国人が増えているのです。せっかく日本製品が海外でも売れるのなら、オペレーションを設計することによってその導線はもっとスムーズになる。Inagoraは、そういった国と国とをつなぐ架け橋になることをこれからも目指していきます」
日本と中国をつなぐことができたのなら、少しの工夫でその橋はアジア全体へ、世界全体へと広がっていくかもしれない。
来日してから30年。日本と中国とをずっとつなぎ続けてきた翁氏。そんな翁氏が今考える、ビジネスモデルを決めるうえで意識したポイントを聞いてみた。
翁 「まずは単純に、どれだけ大きな市場なのか考えます。そして、その市場は伸びているのかどうかと。たとえば、越境ECのモデルにおいては、中国の製品を日本に仕入れるよりも、日本の製品を中国に届けるほうが市場が大きく、伸びていますから。そして、忘れてはいけないのが、ほかの企業と比べた競争力を自分たちは持っているのかどうか見極めること。優位性と継続性の側面から、選んだビジネスでの勝ち筋を見出せると良いですね」
飛行機でたった4時間もあれば到着してしまうほどの距離にある、世界のなかでもご近所さんのような立ち位置の日本と中国。そんなふたつの国ですら、つなぐためにはたくさんのギャップを埋めなければならない。
翁 「小さなことですら、日本人と中国人とでは受け取り方も感じ方もまったく異なります。それらをシステムやフローに落とし込むのが僕らの仕事。だからこそやりがいがあるし、楽しいと感じるんです。 もしも生活できないと思ったら、コンビニでアルバイトするか、最悪の場合は中国の実家に帰ればいいんですから」
と、あっけらかんと語る翁氏。起業におけるダウンサイドリスクは、その程度しかない。だが、アップサイドリスクはどこまでも続く。スタートアップへの転職や起業は、もうリスクはほとんどないのだろう。翁氏のインタビューを通して、そう強く感じている。
執筆:鈴木しの取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:小池大介