愛知県刈谷市。およそ5,500平方メートルの広さを誇るスタートアップの実験農場では、イチゴやきゅうり、ピーマンなどが育つ。
名古屋大学発スタートアップ・TOWING(トーイング/愛知県名古屋市)が外部から調達した資金を元手に2022年に立ち上げた。独自技術を活かし改良した土壌で、収穫量が向上するかなどを検証する。
TOWINGのような大学の研究成果を活かしたスタートアップは、特定分野の環境負荷を大幅に減らしたり、私たちの生活のありようを大きく変えたりと、社会にイノベーション(革新)をもたらす潜在力を秘める。
一方で、研究開発には膨大な金と時間がかかるケースも多い。上場などの「イグジット」に辿り着くことが難しいことをデータは示す。
大学発・研究開発スタートアップが成長し、裾野を広げるために必要な取り組みは何か。TOWINGの西田宏平・CEOは「市場に風が起きるか」と「分散しない支援体制」が重要だと指摘する。
もみ殻や畜糞、樹皮などを一定の条件下で燃やして作るバイオ炭。そこに特定の微生物を添加し、培養することで生まれるのがTOWINGの「宙炭(そらたん)」 だ。
宙炭は有機肥料と一緒に畑にまかれることで効果を発揮する。有機肥料は単独では農作物の栄養にならない。微生物が分解してくれることで、吸収できる状態に変わる。通常ならば3年から5年かかるこの「土づくり」の作業を、宙炭は1ヶ月程度に短縮させる。空気中の炭素を農地に固定化させる機能もあり、環境負荷を減らす効果も期待できる。
「土壌微生物学という研究分野からスタートした技術。微生物を上手に培養して、農地をデザインします。日本各地のどんな土にも対応できるように研究開発を積み重ねています」と西田CEOは解説する。
TOWINGではこの宙炭を農家などに販売するほか、宙炭をまいた土壌で育った農作物を「宙ベジ」とブランド化し売り出す。地域ごとに異なる土壌でも応用できる可能性があり、ゆくゆくは月面で野菜を栽培することも目標の一つだ。
TOWINGは2020年設立。西田CEOがかつて名古屋大学で農研機構と共同で進めていた研究を事業化するのが目的だった。
2021年12月には、Beyond Next Ventures、epiST Ventures、NOBUNAGAキャピタルビレッジのVC(ベンチャーキャピタル)3社がそれぞれ運営するファンドから合計1億4,000万円を調達。小規模だった研究開発を本格化させ、実験農場も立ち上げた。
だがそれは同時に、上場などの「イグジット」に向けた時間制限が設けられることにも等しかった。ファンドの運用期間は一般的に10年程度とされる。VCが金銭的なリターンを得るには、出資先のスタートアップが期間内にイグジットにたどり着く必要がある。
大学発・研究開発型スタートアップのイグジットは容易ではない。2020年から22年の3年間でIPO(新規株式公開)を果たしたのは6社にとどまる。IPOに至るまでの期間の平均は15年と長く、累計の資金調達額に至っては平均値は27億4,600万円と、SaaS企業の倍以上だった。
時間と金の問題はTOWINGとも無縁ではなさそうだ。24都道府県で宙炭を試験導入し、それぞれの農地に適した微生物のスクリーニング(ふるい分け)などを進めているが、相手は農作物と微生物。「栽培や培養にはどうしても時間がかかる。そこは結構重い」と西田CEOは明かす。
それでも2027年6月のIPOを見据える。研究開発は続き、黒字化もこれから。だがビジネスが育つ自信はある。市場規模が拡大することを確信しているからだ。
西田CEOが大学を卒業したのは2018年。微生物の培養技術を社会実装させたい思いはあったが、スタートアップを立ち上げようとは思わなかった。当時は化学肥料を用いた農法が中心で、有機肥料を効率良く分解させる技術がビジネスになるとは考えられなかったからだ。
「(農業といえば)化学肥料でしょう、という感じで…有機肥料もバイオ炭も風が全く起きていない。凪でした。ビジネスにしても、正直、全く普及しないというのは分かっていました」
西田CEOは大手メーカーに入社。エンジニアとして勤務する日々のなかで、国レベルで農業の在り方が変わる予兆を掴む。それが、2021年5月に交付されることになる農水省の「みどりの食料システム戦略」だ。農林水産業の生産力強化とともに、SDGs(持続可能な開発目標)を念頭に環境負荷の低減が提唱された。
重要なのは、化学肥料中心の農業からの転換が示されたことだ。化学肥料は過剰投入により土壌や地下水の汚染につながる可能性があるほか、化石燃料が原材料となっている場合、製造段階で環境負荷も発生する。
具体的な目標として、2050年までに輸入原料や化石燃料を原料とした化学肥料の使用量を3割減らすほか、耕地面積における有機農業の割合を25%に引き上げることも盛り込まれた。
大学卒業時には起きていなかった風が巻き起こるのを感じ、起業に踏み切った西田CEO。ここに大学発・研究開発型スタートアップのヒントがある。
「起業するべきではないフェーズで起業してしまうことほど、不幸なことはないと思っています。タイミングが本当に大事なのです。研究開発型のスタートアップは絶対にプロダクト・アウト(市場の需要ではなく、企業側の論理で製品開発すること)になります。だから市場を探しにいかなければならない。5年後の動静を読んで、勝負できる環境ならば起業してもいいかも知れません。ですが、10年、15年後に市場ができる可能性がある、という段階では起業すべきではないはずです」
社会や政策はどの方向に進むのか。そこに技術を掛け合わせた時に、ビジネスが生まれる余地はあるか。たとえ困難でも、市場の行く先を見据える必要があると西田CEOは強調する。
「モノづくり系は特に、世界がどう変わるかという点が大事です。全然違う方向を向いてしまえばブルーオーシャン(競合が存在しない状態)に見えるかも知れませんが、市場がないのは目に見えています」
大学の研究成果などを活かした起業は増え続けている。経済産業省の認定する大学発ベンチャー(※)は2022年10月時点で3,782社。前の年度と比べ477社増加した。
しかし、企業数の増加が良いとは限らない。「増えることは非常に大事ですが、選球眼なく裾野ばかりが広まると、大学や地域などのフォロー体制が薄まる可能性があります」と西田CEOは指摘する。
TOWINGの設立時、名古屋大学発のスタートアップは現在ほど多くはなかった。その結果、メガバンクや地域の金融機関などから集中的な支援を受けられたという。多い時には月に10社ほどの取引先を紹介され、協業に繋がることもあった。こうした支援体制が、企業数の増加に追いつかず分散するシナリオを懸念する。
「5年後に勝負できる研究テーマと15年後のテーマが同時に(スタートアップとして)立ち上がり、大学や金融機関が同様のフォローをした場合、前者が10年に延びてしまうこともあり得ます。せっかく面白い企業があっても眠ってしまう可能性があるのでは」
TOWINGは今後、研究開発と並行しながら上場への道のりを歩んでいくことになる。設立当初は自社で野菜を育て販売する大型農業法人モデルも検討していたというが、宙炭を中心とした戦略に切り替えた。微生物を培養するプラントを建設したり、各地でパートナーを募ったりして全国に広めていく。
「籾殻の炭だったり、鶏糞だったり、バーク(樹皮)だったり、農地にまく炭のバリュエーションを増やしていて、目処がたったものからビジネスに転用できる。技術開発が100%完了しないとモノが売れないわけではなく、10%でも10%なりのビジネスができる」と上場を見据えた収益化にも自信を覗かせる。
研究開発とビジネスの両立は容易ではない。投資家の期待に応え、一定期間内にイグジットを目指す場合はなおさらだ。経営者として、プレッシャーには「なっています」と西田CEOは即答する。ただ「目標をしっかりおかないと事業計画も作れません。そういう意味では良いこと」とも言い切る。
研究成果がビジネスを通じて社会に広まれば、私たちの生活は大きく変化するかも知れない。地球規模の課題である脱炭素に貢献する技術もある。ただしそこに至るまでには、スタートアップ企業としての成功が前提にある。最適な起業や支援のあり方は何か。現場では模索が続いている。
(※)経済産業省の認定する大学発ベンチャーと、STARTUP DBの定義する大学発スタートアップは一部異なる
STARTUP DB MAGAZINEでは「大学発・研究開発型スタートアップ」について、STARTUP DBの独自データを活用した分析記事や編集者による取材記事を掲載しています。情報発信を通じて、大学などの研究成果を活かしたスタートアップが成長し、さらに裾野が広がる一助になることを目指します。これまでの分析記事は以下のリンクからお読み頂けます。