「自分で会社を立ち上げるイメージなんてなかったんですよね。」インターネットやクラウドサービスが発達し、起業することのハードルは昔ほど高くはなくなったかもしれない。だが依然として、起業はリスクの大きいことだとされている。だからこそ起業に挑戦する人は、よっぽどの熱い想いを抱えていたのではないか、と捉えられがちだ。だがそんななか、冒頭のようなことをさらりと言う起業家がいる。しかも、比較的立ち上げが容易なITビジネスならともかく、宇宙関連スタートアップをはじめたのだというから驚きだ。民間による月面無人探査コンテスト「Google Lunar XPRIZE」の日本チーム「HAKUTO(ハクト)」を運営し、将来的には地球と月がひとつのエコシステムとして回る世界「MOON VALLEY 構想」を掲げる――そんな株式会社ispace(以下、ispace)を率いているのが、代表取締役の袴田武史だ。「誰も手を挙げなかったから代表になった」とも語る袴田氏。その、自然体ゆえに身近に感じる発言と、実際に行なっている事業の大きさとのギャップに興味を惹かれ、「どうして宇宙にチャレンジできたのか」を知りたくなった。
宇宙に携わる仕事は、子どもの頃の夢がきっかけとなることが多い。袴田氏も、小学生のときに見た『スター・ウォーズ』で宇宙への憧れを募らせていた。とはいえ、大きくなるにつれそんな子どもの頃の想いは忘れてしまったという。
袴田「学生時代、僕が夢中になっていたのは宇宙ではなくロボットでした。大学では世界の学生が集まるロボコンに出たいと思っていました。その参加を東工大でしかやっていなかったので受験を決めたくらいです」
高校に入ったころにはすでに東工大へと照準を定めていた袴田氏。模試を受けたときに、ふとしたことから子どもの頃の宇宙への情熱を思い出した。
袴田「模試を受けるときって、志望校を書くじゃないですか。東工大ではロボコンに出られる学科が決まっていて、それが機械宇宙学科だったんですね。そこに『宇宙』って書いてあるじゃんって気づいて、『スター・ウォーズ』を見たときの感動を思い出したんです。それで、ロボット一択だった自分の想いが、『ロボット×宇宙』という掛け算になりました」
ところが、そんな袴田氏の熱い想いはなかなか実らなかった。東工大には3回“振られ”、他大学の機械工学科へと進むことになる。
袴田「文系とキャンパスが同じだったし、テニサーにも入ってとても華やかな大学生活でした(笑)。このまま大学ではそれなりに勉強してあとは遊んで、大学院に進んだときにやりたかった航空宇宙を学ぼうと思っていました」
あるとき、本当にやりたい勉強ができずに楽しめていない自分に気づく。ふと、九州大で航空宇宙を学んでいる高校時代の友人が脳裏をかすめた。
袴田「彼はやりたいことをやっているのに、自分はこれでいいのかって悶々としてしまって……それで、このまま遊んでいたら大学院には行かなそうだし、再度受験をして、名古屋大学で航空宇宙を学び直しました」
卒業後はアメリカの大学院へと進み、引き続き航空宇宙を学び続けた。そんな袴田氏に転機が訪れる。民間で宇宙へ行くことに成功したエンジニアが、大学に講演をしに来たのだ。
袴田「それまで宇宙産業といえば国が中心で、卒業後の就職も漠然と国の機関でエンジニアかな、と思い浮かべていました。 ところが、その民間で宇宙へと行ったエンジニアに実際にお会いして、民間から宇宙産業が発展していく可能性をすごく感じたんです。『これだ!』と思いましたね。 民間で宇宙に携わるということを考えたときに、宇宙船をつくるエンジニアはたくさんいるなと。でも、経営や資金調達をやる人はいない。だから自分はそっちをやろうと思い、資金調達のコスト最適化に特化したコンサルティングファームに就職しました」
宇宙事業においてはコストが一番大きなネックとなる。コストを削減しない限り利益は見えてこず事業として成立しないのだ。そんな難しい領域を、袴田氏はあえて目指した。
袴田「もともと物事の全体を見るのが好きで、大学院でもそういった分野の研究をしていました。宇宙事業は国が中心となってやってきたからこそ、コスト削減をやる余地がめちゃくちゃあるんです。だからこそコンサルティングファームに入って、他の業界がどれだけ苦心してコスト削減やっているのか学びたいと思ったし、経営観点で宇宙事業に関わっていくことに大きなチャンスを感じました」
コンサルティング会社に就職後は、コストの最適化をするプロフェッショナルとして活躍。社内には航空宇宙関係の案件もあったが、手をあげてもなかなか担当できなかったそうだ。そんなとき、ひょんなことから宇宙に関われる仕事と巡り会う。
袴田「友人の結婚式に出たら、月面探査レース参加していたオランダのチームに関わっている人が出席していて、チームを手伝ってくれないかって言われたのが、宇宙に関わる仕事の手伝いするようになったはじまりでした。 とはいえ、その話をもらったときはしばらく反応していなくて(笑)。ぐずぐずしていたら、今後は向こうから連絡が来て、日本でサポーターを募る講演をやるから手伝ってほしいとお願いされたのでオッケーしたんです。 仕事は続けながら、その後はオランダのチームの資金調達にも携わりしました」
そのイベントを手伝ったことは、今のispaceにつながっていく。ローバーを研究・開発し続けてきた東北大の吉田教授に出会ったのだ。
袴田「吉田教授とはその後の懇親会で朝まで飲んで盛り上がり、日本でも月面探査チームをつくろうとなったんです。 とはいえ、いきなり会社を辞めるわけにはいかず、週末に教授と自分、あともう2人ではじめました。資金調達やプロモーション、スポンサー獲得やクラウドファンディング……なんでも実行してみようと。 フルコミットではなく、全員が無給の副業のような形でやっていたんですが、そうするとどうしてもなかなか前進しないので、法人化して責任を持ちましょうとなりました」
袴田氏はこの会社の代表を務めることとなる。それまでは「自分で会社を立ち上げるイメージなんてなかった」という。
袴田「コンサルとして宇宙関連企業をサポートする立場を描いていたのですが、結果的には自分で事業をやっていましたね(笑)。 4人で会社をつくったとき、代表取締役を決めないといけなかったんですが、忙しくて誰も手を挙げなかったんです(笑)。それで、一番時間のある自分がやりましょう、となりました。 結果的には自分がやってよかったなと思いますね。一番自分がバランス良く、全体を見て経営できたので」
こうして、“成り行き”で代表として会社を経営するようになった袴田氏。そこに、迷いはなかったのだろうか。
袴田「2010年に会社を立ち上げたのですが、その頃にはすでに先行して、アメリカで成長した宇宙関連スタートアップが出はじめていたんですよ。どの会社も100億円ほどの調達に成功していて、宇宙産業が変わりはじめているというのをひしひしと感じましたね。 その感覚が2013年ごろには自分のなかで明確なものとなっていったので、勤めていた会社を辞め、フルコミットするようになりました。成功事例に学び、そこに可能性があるなら、やり続ければどこかしらチャンスがある。そう信じ、飛び込みました」
袴田氏の直感は正しかった。「Google Lunar XPRIZE」に参加したことで知名度が上がり、資金調達もしやすくなった。メディアへの露出も増え、世間の宇宙産業に対する関心も高まっている。追い風が吹いているとは正にこのことだろう。
国から民間へ。そうした宇宙産業の新たな波に乗り挑戦を続けてきた袴田氏は、世の中全体も転換点を迎えているからこそ、チャレンジする人が増えてほしいと願う。
袴田「社会の仕組みや流れが変わるときって、経済的にも精神的にも苦しく、厳しいことが多いです。そんなときにチャレンジするのは難しいと感じるかもしれません。それでも、こうした時代に新しい時代をつくるアクティビティが生まれてこないといつまでも時代はシフトしない。アップルだってソニーだって、苦しい時代に生まれてきた。 だからこそ僕は宇宙での挑戦を通じて、多くの人が次の一歩を踏み出せる勇気を与えたいと思っています」
加えて袴田氏は、一歩踏み出したあとの“舵取り”の大切さについても語ってくれた。
袴田「一つのやり方に固執しすぎると失敗する確率があがります。なので、最終的なビジョンは変えずに、うまく舵取りをしていくことが不可欠です。 舵取りをするには、自分を取り巻く環境を一つのシステムとして見ていきます。社内の人間、社外の人間、競合他社、日本の経済状態など、自分の環境は固定されているわけではありません。どこを動かすと自分たちがやりたいようにできるのかということを、全体を俯瞰して考えてみてください。 でも何よりもまず、目の前のことにコミットする。最後までやりきることでまわりに信頼され、人が集まってくるようになりますから」
執筆:菅原 沙妃取材・編集:Brightlogg,inc.撮影:Nobuhiro Toya