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「大学発スタートアップ」どうすれば生まれる?慶應義塾大学が独自支援プログラム「KSIP」に込めた教訓

2024-03-13
慶應義塾大学 イノベーション推進本部 スタートアップ部門
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慶應義塾大学 イノベーション推進本部 スタートアップ部門

研究開発型スタートアップに投資家の注目が集まっています。

「ディープテック」とも呼ばれるこの分野のスタートアップは、脱炭素社会の実現や革新的な医療技術の実用化など、地球規模の課題解決に取り組みます。その壮大な事業スケールが魅力として受け取られているのです。

こうしたスタートアップのシーズ(種)が数多く生まれる場所が大学です。なかでも慶應義塾大学はこれまでに236社のスタートアップを輩出しています。これは私立大の中では群を抜いて多い数字です。

しかし、その慶應義塾大学にも、スタートアップ育成をめぐっては課題があったと言います。今、その教訓を生かした新たな支援プログラムが始まっています。

慶應義塾大学が発見した課題、そして大学からイノベーション(革新)を生むために起こしたアクションとは。寄稿を通じて見ていきましょう。

自助努力や外部支援に頼っていた…意識調査で見えた課題

経済成長のドライバーとしてスタートアップ企業に大きな期待が寄せられるようになりました。中でも大学発のスタートアップには研究成果の事業化を通じて新しい産業や市場を生み出すポテンシャルがあり、注目が高まっています。

慶應義塾大学もスタートアップ育成を強化しています。大学に対する新たな社会的要請として、社会課題解決や新産業創出による貢献が求められるようになったことなどが背景にあります。

慶應義塾大学からはこれまでも、研究成果に基づくシーズ(種)を生かしたスタートアップが数多く生まれてきました。経済産業省「令和4年度大学発ベンチャー実態等調査」(2023年5月発表)では、慶應義塾大学発ベンチャーは前年度の175社から236社へ増加しました。これは国内大学では3番目に多い数字です。

一方で、課題があったのも事実です。研究開発型スタートアップの育成を含む起業支援の仕組みが十分ではなく、研究者や卒業生等の自助努力や外部の支援に頼っているところがあったのです。

そこで、改善のために2021年11月に大学のイノベーション推進本部にスタートアップ部門を設置し、ヒアリングや全学起業意識調査などを続けてきました。

調査の結果、起業を検討する段階では、次のような支援のニーズが高いことが浮かび上がってきました。

1. 経営・支援人材、資金獲得、学内制度・技術移転など特定のニーズに対する支援
2. シーズ毎に異なる状況や課題に対応するための個別化された伴走支援
3. 起業家同士や、投資家、顧客候補、支援者などとつながるコミュニティ

2023年に実施した全学起業意識調査(対象:教職員および学生、回答数:1,129名)の結果を見てみましょう。「最も必要な起業支援」は何かを聞いた結果、回答の上位5件は次の通りでした。

起業を目指す人への教育機会(22.9%)
コミュニティ・ネットワーク(10.6%)
伴走・壁打ちする支援人材(10.5%)
チームメンバー・外部専門家(9.9%)
助成金獲得の支援(7.7%)

支援ニーズなどの調査を経て、2023年10月、全学レベルのインキュベーションプログラム「KSIP」(Keio Startup Incubation Program)を設置しました。浮かび上がったニーズに応え、法人設立や資金調達の達成を支援するプログラムです。

ここからは、KSIPが具体的にどんな支援を始めているかをお伝えします。

「カスタマイズすること」と「人と人を繋ぐこと」

KSIPの運営にあたっては、▽大学だからこそ可能な支援の提供▽効率化と再現性のための仕組み化▽学外の支援や事業の最大活用を指針として掲げました。限られた学内リソースを駆使しつつ、効果を最大化する観点からです。

この運営指針と調査から得られたニーズを掛け合わせ、2つの軸を設定しました。

1つ目は「体系化だが個別化された伴走支援」です。支援の枠組みやメニューを体系化することは必要ですが、研究シーズはそもそも多様で、起業を検討する時に直面する課題もまた異なります。

そこで、個別の事例にカスタマイズされた支援を提供することにしました。慶應の大学VCや卒業生ネットワーク、それに連携協定パートナー(事業会社など)とのつながりを活用し、成果の最大化を目指します。

2つ目は「起業家の数と質を高めるコミュニティ」です。上述した調査などから、起業家や起業検討段階の研究者らは孤立しやすい状況にあることが分かりました。

また、ヒアリングに応じた教授からは「起業に向けて何をすれば良いか分からない。経済人材を確保する人材も手段もない」という声も聞かれました。起業を目指す研究者や関係者をつなぐとともに、知識や成功体験も組織として共有・蓄積できる場を構築することが有効だと考えています。

KSIPの支援メニュー

2023年10月のプログラム立ち上げ以降、実際に稼働させつつ、支援の枠組みや個別メニューの充実化に取り組んでいます。具体的には、以下のような支援メニューを提供しています。

慶應版EIR制度:

EIRとは客員起業家(Entrepreneur in Residence)を指します。大学発研究シーズを有する教員・研究者とタッグを組み、将来の会社経営を担い得る存在として起業準備チームに参画して頂きます。

転職サイトを運営するビズリーチとの連携協定(2022年締結)に基づき、慶應発ディープテックスタートアップの客員起業家を副業で担うプロ経営人材を公募しています。

専門性・人材支援プログラム:

起業や事業成長を支援する意欲・専門性を持つ卒業生などを指す「サポーター」を対象とした支援者プログラムや、起業への参画意欲が高く関連度の高いスキルや経験を持つビジネス人材プールの構築を始めています。これにより、事業計画策定やチーム形成を支援します。

リソース提供:

慶應義塾関連のスタートアップにはこれまでも、AWS(アマゾン ウェブ サービス)ジャパンとの連携協定を通じて支援プログラムを提供してきました。KSIP採択者にはより多くのクレジット(利用権)を使って頂けます。今後も多様なパートナーとの連携を模索し、支援内容を充実化したいと考えています。

学内ギャップファンド(2024年度予定):

大学として初めて、全学レベルの学内ギャップファンド(編注:研究成果と事業化の間を繋ぐ資金を提供するファンド)を設置する方針です。

大学研究者やスタートアップ向けの公的支援や助成金は従来通り活用しつつ、より柔軟かつタイムリーな経済的支援を行う目的です。併せて、寄付や協賛等を通じたスタートアップ支援資金の確立も検討します。

さらに、各チームのニーズに応じ、法人登記や銀行口座開設、それに創業融資に向けた支援も行います。VCや外部団体のアクセラプログラムを紹介したり、事業化に向けたヒアリングのために民間企業とお繋ぎしたりすることもあります。

支援の鍵は外部との連携にあります。協定パートナーや行政のほか、慶應義塾の大学VCである慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)ともKSIPの企画段階から密に連携し、設計や個別支援に協働で取り組んでいます。

採択シーズはこんな顔ぶれ チーム組成や法人設立など成果

KSIPでは、支援対象として年間10チームほどの採択を想定しています。2023年10月の正式立ち上げ以降すでに5チームを採択し、伴走支援を開始しています。採択された研究シーズをご紹介します。

・大型3Dプリンタによる建築部材の製造販売と廃棄プラスチックの資源循環(DigitalArchi
・深層学習を用いた乱気流予測モデルに基づく高精度な気象予測コンテンツサービス(BlueWX
・心電図解析AIを用いた高精度心疾患検知サービスの展開(コルバトヘルス
・会話音声のリアルタイム音響解析で認知症を早期発見(法人未設立)
・量産型チップ上グラフェンの集積デバイス実装事業(法人未設立)

上記の多くはKSIPのパイロット段階から支援しているチームですが、これまでにも事業計画策定やチーム組成などの面で進捗がありました。それに止まらず、複数社が法人を設立したほか、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)JST(科学技術振興機構)の事業や外部プログラムでの採択などの成果も得られています。

KSIP採択チームの集合写真 (慶應義塾大学 提供)

各チームの努力が大きいのはもちろんですが、支援する私たちも手ごたえを感じつつあります。今後、年間10件を目途に、新規チームを採択していく見込みです。

2024年には学内ギャップファンドの設置や技術移転などの起業関連プロセス整備の検討を予定しており、支援をより一層充実させていきます。大学VC初のインパクトファンド「KII3号インパクトファンド」や、5月に慶應義塾大学病院内にオープンするインキュベーション施設「CRIK信濃町」などとの相乗効果も期待しています。

本稿で紹介させて頂いた取り組みは、慶應義塾大学における体系的なスタートアップ支援の最初の一歩です。現時点では研究者自身が起業を推進する事例が中心ですが、そうでない場合でも円滑にスタートアップが設立される仕組みを次の段階では確立したいと考えています。

慶應義塾大学の研究成果がスタートアップを通じてグローバルに社会実装され、社会課題解決や新産業創出の実現につながるよう、今後も取り組んでいきます。

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