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「環境保全という言葉が消えればいい」。生物多様性のために生まれたスタートアップが、ひたすら「楽しさ」にこだわる深い理由

2023-11-08
高橋史弥 / STARTUP DBアナリスト・編集者
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高橋史弥 / STARTUP DBアナリスト・編集者

道端に咲く小さな白い花はヤノネボンテンカというらしい。

アオイ目アオイ科。東海から関西にかけての分布が多く、レア度は「C」だ。

普段何気なく目にする動物や植物が、具体的な情報を伴ってコレクションに加わっていく。「ポケモン図鑑」を手にしたような感覚だ。

いきものコレクションアプリ・バイオーム。生物の豊かな個性とつながりである「生物多様性」の保全を目的として生まれたアプリだ。

壮大な目標のために作られたものの、生物多様性や環境保全の重要性を訴えかけてくることはない。集めてシェアする「楽しさ」だけがそこにある。

アプリを開発したバイオーム藤木庄五郎・代表取締役は、環境破壊の現場に立ち会った経験から生物多様性領域の起業を決意した。それでも「環境を守るべき、という思いを前提にしたサービスは作るべきではない」と言い切る。

環境意識が高くない人も包摂するアプリを作る。どんな商品を買っても、どんなサービスを受けても、結果的に環境保全に繋がる。

藤木さんが目指すのは、当たり前になりすぎて「環境保全」という言葉さえ消えてしまう世界だ。

アプリ「バイオーム」のプレイ画面。白い花の名前を教えてくれた

「儲かる」エネルギーが熱帯雨林を消した

大学生の頃、調査のため滞在したボルネオ島の光景を藤木さんは忘れない。

60メートル以上の巨木が立ち並ぶはずの熱帯雨林が、360度を見渡しても更地だった。どちらを向いても地平線。この光景を作り出した原動力は何か。考えるまでもなかった。

「あれだけの木を切って運び出すのは大変な労力。それを地平線が見えるまでやり尽くしたのは『儲かる』というシンプルなエネルギーがあるから」

伐採された熱帯雨林の跡地 バイオーム社提供

木を切り出していたのは近くの村人だった。藤木さんにとっては友人も同然で、伐採が彼らの生計を支えていることはよく知っていた。環境を守ろうと訴えても意味はない。仕組みを変えるべきだと悟った。

「木を切るなと訴えるのではなく、木を切らずに環境を守った方が儲かる形を作るべき。儲かるというエネルギーこそが、これからの環境保全を考えるうえで絶対に避けられないテーマなんです。ボルネオ島の経験はその確信につながりました」

藤木さんは大学院を卒業してすぐにバイオームを設立する。生物多様性を、儲からない領域のままにしておけない。非営利団体やボランティアではなく、スタートアップとして利益を上げていくことにこそ意味があると考えた。

調査活動中の藤木さん(中央左) バイオーム社提供

「ボランティアでしょ」始まった極貧生活

創業は2017年。当時から現在の「バイオーム」アプリを構想していた。コレクションを楽しめるアプリを提供し、一般ユーザーに使ってもらう。アプリを通じて希少生物や外来種などの分布を集め、データベース化するのだ。

「Amazonは商品を、Facebookは人間関係を、X(旧Twitter)は思想やイデオロギーをデジタル化しました。その結果新たなマーケットが生まれた。生物多様性の領域もデジタル化によって市場が生まれるはず。そんな仮説を持っていました」

共同創業者とともに起業。ゼロからアプリを作りながら金策に奔走した。融資を受けるのは難しいと知り投資家を回った。だが、返ってきたのは冷たい反応ばかりだった。

「全然見向きもされませんでした。生物多様性保全でお金を儲けます、と言っても『儲かるわけない』とか『ボランティアでしょ』とか。最初は本当にお金がつかなくて…売上も立っていませんでした」

学生時代の貯金を崩しながら開発を続ける極貧生活が始まった。

月1万2,000円の家賃を払うのが精一杯。大安売りのパスタを買い込み腹の足しにした。「チキンラーメン」が日常食になった。良いことがあった日だけお祝いとして卵を落とす。思い返せば、東南アジアでは野宿しながら調査を続けていた。屋根と布団があるだけまだ幸せだと思えた。

投資のプロからは評価されず、生活も困窮していく。それでも、藤木さんの信念が揺らぐことはなかった。

「儲からないと(投資家に)言われても『当たり前じゃないですか。だから僕がやるんです』というだけの話。ほぼ全員が儲からないというので、逆にチャンスに見えてきたんです。誰もが思いつくことから新しいものは生まれません。誰もが思いついていないなら、これは良い領域なんじゃないかと…多分、何かが間違っているんですけど(笑)」

取材に応じる藤木さん

意識高くない人も包摂 環境保全という言葉を消す

2019年4月、藤木さんたちはバイオームのアプリをローンチする。

遊び方はいたってシンプルだ。生き物をスマホで撮影するとAIが名前を判定してくれる。コレクションをシェアしても良いし、指定された種別を発見し投稿する「クエスト」に挑んでも良い。

こだわったのは「楽しい」アプリであること。「ちょっとした外出とか散歩や旅行がもっと楽しくなる。一生遊べる」と藤木さんは胸を張る。

アプリが生まれたのは、生物多様性保全とビジネスの両立を実現するためだ。ただし、アプリ自体が環境保全の重要さや生態系の危機を訴えかけてくることはない。あくまで「楽しいコレクションアプリ」であり続ける。

「環境を守るためにやろう、というアプリにはしたくなかった」と藤木さん。啓蒙しないことこそが、生物多様性保全を実現するためには欠かせない工夫だと考えている。

「ここ数年で増えているとはいえ、生物多様性を守ろう、というメッセージや商品が刺さる人はそこまで多くないと思うんです。変化しやすい倫理観ではなく、変化しにくいものに根ざしたサービスを作らないと広がらないし、生き残れない。だからこそ、誰もが持っている楽しさや承認欲求といった感覚を意識しました」

楽しさに焦点を当てれば、環境意識が必ずしも高くない人でもバイオームを使ってくれる。それは結果的に、藤木さんが目指す世界につながっていく。

「信念の押し付けみたいなものが好きじゃないんです。環境を守りたいというのも一つの思想。僕は大切にしていますが、そう思わない人がいても良い。どの商品を買ってもどのサービスを受けても環境保全につながる社会を作れば、誰もが生きているだけで環境を守っていることになる。そして環境保全という言葉が消える。これが僕の理想です」

バイオームのダウンロード数は足元で85万を超え、「毎日1万個体ほど集まっている」と話すようにデータも豊富になってきた。外来種駆除や希少種保全などの目的別にデータを整理し、自治体や企業向けに販売する事業も軌道に乗ってきたという。

投資家からの資金も集まり、官民支援プログラム「J-Startup Impact」にも選出された。生物多様性への意識の高まりに「外部環境が追いついてきている」と藤木さんは手応えを感じている。

社会課題を解決するために生まれたスタートアップは、往々にして「儲け」の壁に直面する。創業初期に投資家から評価されなかったバイオームも例外ではないが、手付かずだった生物多様性のデジタル化に活路を見出した。

ただ、究極の目的である生物多様性の保全にはまだ遠い。次のステップとして見据えるのは海外展開だ。

「生物多様性は日本だけの問題じゃない。世界中の多様性を守るプラットフォームを作るべき。それに、バイオームでインドネシアの動向が見えたら面白いじゃないですか」

日本から、世界から、環境保全という言葉を消し去ってみせるつもりだ。

「環境意識が高いとか低いではない。そういうものに依拠せずに環境を守れるようにしていかないと。最終的には個々人の意識すらシステムが凌駕して、仕組みが環境保全を担保する社会を目指さなければいけません」

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